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日韓万華鏡

建物6
中国・四国・九州

西日本方面、あまり古い建物を取りに行っていないのですが、手持ちの写真をお目にかけましょう。

山陰

旧大社駅
1990年にJR大社線は赤字ローカル線だったところから廃止され、その際に終着駅だったこの大社駅も廃駅となった。神戸鉄道管理局技手・丹羽三雄が設計、1924年に竣工したこの神社風デザインの立派な駅舎は実は2代目。1912年の開業当初の駅舎はもっと小さく、簡素であった。かつては日光や奈良に匹敵するような立派な門前町で1951年から1961年までは東京からの直通急行「出雲」が運行され、その後も「だいせん」「大社」など急行が発着していた。
廃止後も大社駅にはホームや駅の表示がそのまま残り、2004年には重文に、2009年には近代化産業遺産に指定された。
出雲大社前駅
1930年に大社神門駅として開業した出雲大社前駅。現在の名称になったのは1970年のこと。
1996年に登録有形文化財に指定されたこの駅はなにやらアラビアのモスクのような不思議なデザイン。かまぼこのような半円状の屋根に青緑色の瓦が葺かれ、ファサードも半円状でステンドグラスが入っている。写真でタクシー乗り場になっている部分はその後カフェに衣替えした。JR大社駅が廃駅となっているため、この駅が出雲大社の最寄駅となっている。
写真には写っていないが駅舎の向かって左恥には古い円筒形のポストがあり、そこから手紙を出すと願い事が叶うという噂も…。
興雲閣
松江市にある興雲閣は明治天皇の行在所に使用するため1903年に建設された。ところが当の明治天皇の行幸は実現せず、1907年に後に大正天皇となった皇太子嘉仁親王の山陰行啓にあたって宿舎として使用され、迎賓館としての役割を果たした。元々明治天皇が宿泊される施設として企画されたため、装飾や彫刻が多く用いられ、豪華な作りとなっている。大正期は主に会合や展覧会に用いられ、昭和に入ると松江地方海軍人事部庁舎、大日本防空協会島根県支部庁舎となり、戦後は島根県庁仮分室、松江市教育委員会事務局庁舎、松江郷土館を経て、保存修理後2015年10月3日から一般公開されている。入場料無料で貴重な山陰地方の屈指の明治建築を見ることができる。

九州
長崎
グラバー邸
幕末に来日したイギリス人政商・トーマス・グラバーが暮らした家で、竣工はなんと幕末の1863年。日本最古の木造洋館でもある。ベランダコロニアル様式の西洋住宅だが、丸みを帯びた外壁で囲われた3つの部屋が三方につき出し、その周りにベランダが回り込み、玄関がなく、ベランダから出入りするようになっている。床と部屋の配置がクローバースタイルといわれる珍しい平面構造になっている。屋根は幕末に作られ、洋瓦がなかった時代に竣工したせいか、和風の棧瓦が葺かれ、先端部には鬼瓦まである。
旧三菱第2ドックハウス
1896年に竣工した木造2階建てでベランダの目立つ明治の洋館。ここは外国人の住居ではなく、船が修理のために三菱造船所のドックに入っている間に船に乗ってやってきた乗組員たちが泊まっていた建物。
元々は三菱重工長崎造船所第二ドックにあったが、1974年にグラバー園に移築された。内部はかつての談話室が再現され、ベランダからは長崎港の美しい景色を眺めることができる。なお、グラバー園の入場料は大人610円、高校生300円、小学生180円で、開園時間は8:00~18:00となっている。
旧ウォーカー住宅
明治時代中期である1883~1902年に建てられた木造平屋建ての住宅で大正時代初頭に英国人貿易商でジンジャエールの製造も行っていたロバート・ネール・ウォーカーJr(1882~1958)が購入、亡くなるまで居住していた。
元々、右のカトリック教会「大浦天主堂」の近くに建っていて、彼の死後、遺族が母屋の一部を長崎市に寄贈。それをグラバー園に移築した。
ジンジャエールの製造は父親のロバート・N・ウォーカーの代に設立した「バンザイ清涼飲料工場」で行われていた。
大浦天主堂
1865年に建立された現存する日本最古の教会で、正式名称は「日本二十六聖殉教者堂」。1953年に国宝に指定され、2007年にユネスコの世界遺産暫定リストに登録された。建立まもない頃宣教師として赴任していたフランス人ベルナール・プティジャン神父(1829~1884)は隠れキリシタンの発見と浦上や五島などでの隠れキリシタンの発見と布教活動を行い、江戸時代に御法度となっていたキリシタン信仰を復活させるきっかけを作った。なお、プティジャン神父は死後この大浦天主堂内に埋葬された。