ギャラリー
合造車・荷物車・職用車
運転室の後側と客室の間に荷物積載スペースが設けられた車両である。
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クモハユニ64000
制御電動車・普通車・郵便・荷物車の合造車で1943年に横須賀線用のモハユニ61 001として誕生。後部に運転台を増設して両運転台車となり、形式名称がクモハユニ64となった。 |
クハユニ56 004
元々はクハ55だったが、荷物室を設置し、クハニ67となり、更に郵便室も増設したため、クハユニ56となった車両。 |
荷物車
チッキ…すなわち手小荷物輸送を輸送するため、かつて存在した電車である。その昔、チッキ取扱駅で朝8時から夜8時まで受け付け、1個30kg、大きさは2立方メートルまでという制限で手小荷物の輸送を受け付けていた。要は託送手荷物だ。昭和時代、そのための電車が列車に連結されていたり、或いは単独で走っていたりしたのだった。
田切-伊那福岡を行く飯田線の列車先頭に立つのはクモニ83 103。後にクモニ13が連結されている。クモニ83 100番台は元々1950年に登場した80系の郵便荷物車クモユニ81でクハ86とよく似た顔立ちが特徴。郵便輸送廃止により郵便室を撤去し、荷物室にしたところから生まれた車両。
上越線渋川付近を行くクモニ83 0番台ばかり4両編成となった荷物電車。100番台は80系の郵便荷物車を改造して作ったのに対し、こちらクモニ830番台はモハ72を改造して作った荷物電車である。新聞輸送を除く荷物電車そのものは宅配便に顧客を奪われる形で1986年に全廃となった。もし今後復活するとしたら、宅配便業者とJR貨物のタイアップによるものだろうが、それだとコンテナに方面別に分けた宅配便の籠台車を満載して走る形となるだろうから、いずれにせよこの光景はもう見られない昭和の風景ともいえる。
因みに特急や急行の専務車掌は鉄道用語でリョ「カ」ク・「レ」ッシャ・「チ」ョウと旅客列車長の文字の一部を取って「カレチ」というが、実はニレチ…荷物列車長も存在していた。まさに荷物列車の専務車掌なのだが、86年に荷物列車が姿を消した上、貨物も1985年に車掌を廃止しているため、「ニレチ」という言葉は現在では死語となってしまった。