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日韓万華鏡

建物2

南関東1(千葉県と東京都)

古くから栄えた町や軍港都市などには何気ない無名の商店建築で見ごたえのあるものがあったりします。旅先でそういう建物を見つけるのも楽しいですね。何も遠くまで行くことはないのです。あなたの住んでいる街のすぐ近くにそうした古くて魅力的な宝石のような建物や街がひっそりと佇んでいるかもしれません。

千葉

千葉県香取市佐原の運河周辺の街並み
伊能忠敬を生んだ千葉県佐原は利根川を挟んだ茨木県の水郷の町・潮来の川向こうでやはり運河がある。
この運河の両側がとてもシブい古い町並みになっていて、名もない民家や商家がまるで絵のようだ。
日通佐原営業所
地方の駅前によくありがちな日通倉庫。木造二階建てでオイルペンキ塗りのアメリカ下見の板壁。サッシが木製ならもっと古風な感じになる。戦前の建物かどうかは分からないが、クラシックな雰囲気だ。
蜷川家具店
佐原の名もない小さな町の家具屋さん。だが、店の入口はしっかり看板建築で後の壁は押縁下見の板壁。こんなに状態がよい古風な商家は珍しい。
運河沿いの民家
木造2階建ての普通の民家だ。しかし、鉛色の陶器瓦に押縁下見の板壁で戦前の日本家屋そのままだ。しかも塀は板塀。
職人の店
佐原の職人さんの家。こちらも戦前風の瓦に押縁下見の板壁でまるで戦前の風景。向かって左の軽自動車と右のクリーニング店がなければとても現代の光景に見えない。
旧三菱銀行佐原支店
1914年に竣工したかつての川崎銀行佐原支店で現在は香取市が所有する三菱館というギャラリーだ。
東京
東京駅丸の内口
辰野金吾博士の設計で1914年に竣工。東京大空襲で屋根を消失し、南北のドームを台形にデザイン変更する形で修復したが、2012年に建設当初の姿に復元された。
上野駅
1932年に竣工した第2代駅舎が現在も東京の北の玄関口として残っている。四角いコンクリート建築に縦長の窓は小樽駅や大連駅と共通するスタイルで1930年代のターミナル駅の典型的スタイルである。
赤坂プリンスクラシックハウス
元赤坂プリンスホテル旧館だが、元をただせば1930年竣工の李垠王子邸である。設計は宮内省内匠寮・北村耕造、権藤要吉。赤坂プリンスホテル廃業後、結婚式場として再出発した。
旧古河庭園
1917年に英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852〜1920)の設計で建築されたレンガ造2階建ての洋館。外壁は新小松石で覆われ、一見すると石造りの重厚な館に見える。古河財閥3代目当主古河虎之助が施主で、虎之助夫妻が新宿区市谷船河原町に引っ越すとその後は古河家の迎賓館となった。戦後はGHQの接収、財産税物納で所有権が政府に移り、東京都が借り受けて一般公開している。優雅な庭園は入場料大人150円、洋館内部は大谷美術館の管理で往復はがきによる事前申込制で見学料800円となっている。洋館の前にはテラス式庭園があり、そこに植わってるのはバラである。5〜6月と10〜11月には美しい大輪のバラが妍を競う。
旧岩崎庭園
1896年に岩崎彌太郎長男で三菱財閥三代目社長となった岩崎久彌の本邸として建てられた。こちらの設計者も左の旧古河庭園洋館と同じジョサイア・コンドル。英国ジャコビニアン様式の装飾、イギリス・ルネッサンス様式、イスラム風モチーフが取り入れられた洋館で、戦後GHQに接収され、接収解除後は1952年に政府の所有となった。1961年にはこの洋館が十分に指定されている。洋館の奥には渡り廊下があり、大広間の1棟だけが残った書院造の和館に繋がっている。この和館には茶室があり、抹茶と和生菓子のセットが510円で食べられるほか、洋館の壁紙を再現した唐紙の栞などをお土産として販売している。
江戸東京たてもの園
東京・武蔵小金井にある都内の歴史的建造物を移築・展示している建物の博物館。ここを訪れれば、かつて東京の街にあった懐かしい建物に巡り会える、
田園調布の家(大川邸)
渋沢栄一が創業した不動産会社「田園都市株式会社」が開発した郊外住宅地である田園調布に建てられた木造平屋、ドイツ下見板張りの小規模な洋館。サラリーマンの理想を具現化したような1925年竣工のお洒落な洋風の家というだけではなく、武家屋敷の変形のような旧来の住宅とか一線を画し、居間を中心に各部屋を配置する家族団欒重視という新しい価値観を提案する革新的な家でもあった。
小寺醤油店
1933年竣工の出桁作りで古風な作りの木造2階建て商店。元々は東京都港区白金5丁目にあった日本酒、味噌、醤油、清涼飲料水などを商ういわゆる街の酒屋さんだった。昭和30年代までの店舗内部を再現しており、この時代、味噌、醤油が秤売だったので、そのための瓶や樽も展示している。一升瓶を持ってって、「醤油一升くれ!」なんていう買い方、平成時代の人には見当もつかない話だろうなぁ…。
小出邸
かつて東京都文京区西片町にあった住宅で、施主の小出収(1865〜1945)は新聞記者上がりの実業家。小出の義弟の友人で若い建築家だった堀口捨己(1895〜1984)に設計させたもの。1925年竣工。オランダのモダニズム運動の影響を受けていて、直線的で突き刺さるような軒とピラミッドのような桟瓦葺きの三角屋根が特徴的だ。
高橋是清邸
赤坂にあった戦前の政治家・高橋是清(1854〜1936)の私邸だった建物で2・26事件で高橋是清が暗殺された場所でもある。高橋是清は大蔵大臣や首相を歴任した大物政治家で顔がダルマっぽいということで達磨宰相と呼ばれた人物だ。若い頃アメリカ・サンフランシスコに留学したものの騙されて奴隷として売り飛ばされた経験も持つ。また帰国後文部省、農商務省の官僚となる前には英語教師もやっていて、教え子には正岡子規や海軍中将・秋山真之がいた。
子宝湯
1929年に竣工した足立区千住元町にあった銭湯の建物である。昭和初期の典型的な銭湯で内部には富士山のペンキ絵も残されている。実はこの建物、ジブリ映画「千と千尋の神隠し」の湯屋のデザインモデルにもなっている。
常盤台写真場
かつて東京都板橋区常盤台にあった写真館の建物で1937年竣工。モダニズム様式で1930年代の日本では相当に斬新なデザインだった建物。この時代はまだ照明器具が発達していなかったため、北側にすりガラス入りの大きな窓を設けて2階の写真スタジオに光を効率的に取り入れられるよう工夫されている。
万世橋交番
明治の終わりごろ建てられたとみられるレンガ建ての古い交番。元は東京都千代田区神田須田町にあったもので、そのすぐ近くにはさいたま市に移転して鉄道博物館となる前の交通博物館があった場所だ。江戸東京たてもの園への移築にはなんとトレーラーで搬送したのだとか。
看板建築の商店 武居三省堂と花市生花店
武居三省堂(向かって左)はかつて神田須田町にあった文房具店。明治初期からあった文房具屋が関東大震災で被害を受けたところから、根の勾配が途中から急になるマンサード屋根にタイル張りの看板建築として1927年に完成した。
花市生花店(向かって右)は神田淡路町1丁目にあった花屋さんで青銅板で仕上げた全面が美しい看板建築。店内は昭和30年代の花屋さんの様子を再現している。

江戸東京たてもの園
住 所:東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)
休園日:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は、その翌日)と年末年始年末年始
入場料:大人400円 大学生320円 高校生、東京都外在住中学生、65歳以上200円 小学生以下と都内在住中学生は入場料無料
武蔵小金井駅2番・3番バス乗り場から西武バスに乗車、「小金井公園西口」で下車、徒歩5分
(車での来園者には小金井公園駐車場がある。)