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日韓万華鏡

建物3

南関東2(神奈川県)

神奈川県は幕末の横浜開港や横須賀が海軍の軍港都市であったことなどで早くから近代化が進み、看板建築の商家やお洒落な洋館が割と多く見られます。ここでは横浜山手の洋館は別途コーナーを設けることとし、それ以外の近代建築についてご紹介いたします。
横浜
神奈川県庁本庁舎
横浜三塔の一つで通称「キングの塔」。あとクイーンとジャックもあるがいずれも横浜に入港する外国船の船乗りが命名したのだとか。1928年竣工で昭和戦前に流行した鉄筋コンクリート作りのビルに和風の屋根を取り付けるもので、まさに、中央の塔がお寺の五重塔の上の方のようなスタイルだ。1996年に登録有形文化財に指定された。
横浜税関本関庁舎
こちらは横浜三塔の「クイーンの塔」。1934年竣工。設計時には塔の高さが47mで49mあるキングの塔より低かった。これに第22代税関長であった金子隆三が国の施設なのに県庁の塔より低いとはと文句をつけ、高さを4mかさ上げ、51mにしてしまったというエピソードが残る。1階資料展示室はクイーンの広場という入場無料のミニ博物館である。開館時間は10:00~16:00で年末年始が閉館日となっている。
横浜市開港記念会館
横浜三塔の「ジャックの塔」。1917年に建設され、関東大震災で消失したが、1927年に初期の建築を復元した状態で再建された。現在は横浜市中区公会堂となっており、講堂や会議室が市民に貸し出されている。講堂は人前結婚式やドラマなどの撮影にも活用されている。廊下、階段、ステンドグラス、2階資料コーナーなどは見学可能で9:00~16:00に公開されている。毎月15日は一般公開日で講堂や1号会議室も見学できるようになる。
赤レンガ倉庫
赤レンガ倉庫は新港埠頭の保税倉庫だった建物である。そのため、倉庫としての役割を終える1989年までは一般人が立ち入り出来る場所ではなかった。1号倉庫と2号倉庫の2棟からなり、1号倉庫は1913年竣工、2号倉庫は1911年竣工だが、関東大震災で1号倉庫は半壊した。そのため、1号倉庫は2号倉庫の半分の長さしかない。保税倉庫としての用途廃止後は補修の上、2002年ショッピングアーケードに生まれ変わった。
横浜貿易会館
横浜大桟橋の入口交差点に建つ角ビル。1929年に大倉土木(現・大成建設)の設計施工で完成した鉄筋コンクリート3階建てのオフィスビル。1階は「SCANDIA」というデンマーク料理レストラン。スクラッチタイルの壁が美しく、しばしば風景画の題材となっている。スカンディアはコース料理中心の高級店だが、ランチなら比較的リーズナブルに食べられる。
ホテルニューグランド
1927年に開業した横浜を代表するクラシックホテル。設計者は銀座和光と同じ渡辺仁。終戦後すぐ、マッカーサー元帥が宿泊したことでも知られる。スパゲッティーナポリタン、ドリア、プリンアラモードはこのホテルニューグランドが発祥。映画「THE 有頂天ホテル」のモデルとなったホテルの一つでロケにも使われている。2004年にJR東日本と業務提携し、JR東日本ホテルズ準会員となった。
横浜地方気象台
みなとみらい線元町・中華街駅から港の見える丘公園へ至る道の途中にある。1927年竣工で、現存する気象台としては3番目に古い。モダニズム様式だが、窓や玄関周りにアールデコ様式の影響がみられる。鉄筋コンクリート地上3階・地下1階建てで「あゆみ棟」と呼ばれる。2005年に横浜市指定有名文化財に指定された。「あゆみ棟」の隣には2009年竣工の新館「みらい棟」が建っている。
氷川丸
本当はこれは船であって建物ではない。だがしかし、戦前生まれの客船で唯一現存する貴重な産業遺産で、映画やアニメにも登場する横浜の名物でもあるので敢えて取り上げることした。1930年竣工で太平洋戦争勃発までシアトル航路に就航、戦時中は病院船、終戦直後は引揚船、1953年~1960年にシアトル航路に復帰、1961年から山下公園に係留されている。老朽化が進んでおり、大規模な修復が必要とされている。
根岸なつかし公園・旧柳下邸
横浜市磯子区にある金属輸入商の富豪・柳下家の邸宅だった建物で、ジブリ映画「コクリコ坂から」で主人公のメルちゃんの自宅となっていた下宿屋「コクリコ荘」のモデルになった家だと言われている。武家屋敷のような和風の建物は竣工年不詳ながら大正時代に建てられたとされ、シンボルマークの洋館は1923年竣工。日本風の平屋のお屋敷に洋館の応接間・書斎というスタイルは大正から昭和初期の東京周辺で流行した文化住宅そのものだが、豪商の家だけに規模は大きい。
旧伊藤博文金沢別邸
野島公園の一角に藁葺き小屋が立っているが、実はこれは伊藤博文公の別荘。
1898年に竣工した。ぱっと見、藁葺小屋でしかないのだが、明治憲法を構想する場所の一つでもあったし、大正天皇や朝鮮王朝末期の李王家皇太子が訪問したなど、数々の歴史の舞台となった場所であることから、その価値は計り知れない。2006年には横浜市指定有形文化財に指定された。入場料は無料で開館時間は9:30~16:30。休館日は毎月第1・第3月曜日(休日の場合は翌日)と年末年始。
横須賀
追浜・共栄会鳥海医院
京浜急行線の追浜駅近くに鳥海病院という1933年竣工の古い洋館の病院がある。戦前の追浜は海軍の工場が集まっているところだったのでこういう病院ができたのだろう。内科・外科・産婦人科・婦人科・皮膚科・泌尿器科・小児科といった科目があるようなのだが、ここで生まれたって人にあったこともないし、この病院いつも人気がなくてs~~んとしている。綺麗だから廃墟というわけでもなさそう。何やらミステリアスだ。
汐入駅近くの土蔵のある商店
京浜急行線汐入駅の駅前には土蔵のついた妙に渋いタバコ屋がある。もう見事なまでに昭和の世界だ。映画なら「ALWAYS 3丁目の夕日」か「男はつらいよ」あたりにぱっと出てきても違和感がなさそうな雰囲気だ。
海軍の軍都として古くから開けてきた横須賀にはこんなふうに妙にレトロな商店をあちらこちらで見ることができる。
逸見駅前商店街の看板建築
逸見駅前の額縁屋さんが見事な看板建築である。正面から見ると鉄筋コンクリート2階建てのように見える作りで、風格を感じさせる。竣工年は不明だが、昭和初期の商店のような雰囲気だ。
今は亡き京急安浦駅
バリアフリー化するため2005年に建て替えられて「県立大学駅」となってしまった在りし日の京急安浦駅。英国の小住宅を想起させるような三角屋根の可愛らしい洋館だった。実はこの旧駅舎、1930年に京浜急行電鉄の前身の一つである湘南電気鉄道が開業した際に建てられた由緒ある駅舎で、戦前の湘南電気鉄道の遺構はもはや日ノ出町駅の豆タイルで描かれた三浦半島と京急大津駅ぐらいになってしまった。
鎌倉・藤沢・三浦
鎌倉市・旧華頂宮邸
臣籍降下して華頂侯爵家となった華頂宮博信王の邸宅で1929年に竣工した。皇族や臣籍降下した元皇族は都区内に住み、鎌倉など湘南に家を作ると「別邸」となるのが一般的だが、華頂宮博信王は海軍将校である、鎮守府のある横須賀から近いところからここを本邸としたようだ。ただ実際に華頂宮が住んでいた期間はそれほど長くなく、戦前のうちに人手に渡った様子。戦後は借家となって住民が何度か入れ替わり、1996年に鎌倉市の手に渡り、年に数回、一般公開されるようになった。ハーフティンバースタイルの端正な建物と幾何学的なデザインの広い庭が印象的な洋館である。
小田急江ノ島線片瀬江ノ島駅
1929年に小田急江ノ島線が開業した際にすぐ取り壊すつもりで作った仮建築の駅舎だったはずが、築80年以上もの歴史ある駅舎となってしまった。それだけではなく、竜宮城スタイルの駅舎という点も個性的だ。見ようによっては中国風でもあるのだが、中国にも香港にも台湾にもこんなデザインの駅舎はない。大変に貴重な存在なのだが、東京オリンピックで江ノ島がヨット競技の会場に指定されたことから、江ノ島を再開発し取り壊すという可能性が出てきた。江ノ島に高層ビルを立ててもオリンピックが終われば廃墟になってしまう、このユニークな駅舎を残しながら会場整備を進めて欲しいものである。
城ヶ島灯台
1925年に建てられた灯台が未だ現役、城ヶ島に灯台ができたのは1870年。関東大震災で倒壊し、再建する形で現在の灯台が作られた。1991年に無人化されたので、その前までは灯台守がいた事になる。子供の頃「喜びも悲しみも幾歳月」というドラマをやっていて、その主題歌は「お~~いらみ~さきの~」という出だしで始まる。それを聞いた子供の頃の私は地図帳で「おおいら岬ってでこだ?伊良湖岬ならあるけど…」と探していた。我ながらおバカな黒歴史である。
箱根
箱根富士屋ホテル
1978年創業の大変に歴史のあるリゾートホテルである。現在は国際興業グループのホテルだが、山口仙之助が箱根に外国人専用のリゾートホテルがないところから開業、ライバルで同じ宮ノ下にあった奈良屋旅館と協定を結び、日本人観光客は奈良屋に、外国人観光客は富士屋に泊めるようにしたため、日本人が泊まれない時代もあった。戦後はGHQに接収されたことも。チャールズ·チャップリン、ヘレン·ケラー、ジョン·レノンといった著名人が宿泊したことでも知られている。
写真は左が本館(1896年竣工)、中央が花御殿(1936年竣工)、右側が西洋館(1906年竣工)。これら歴史ある建物は1997年に登録有形文化財に指定され、2007年には近代化産業遺産に指定された。