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日韓万華鏡

建物4

南関東3(神奈川県)
山手の洋館

外人墓地、石川町駅、山手公園といった山手本通り沿いの一帯にはお洒落な洋館が数多く立っている。大半は大正末期から昭和戦前の建物ですが、中には関東大震災以前の古い洋館を移築したものや第二次世界大戦以降に古い建築様式そのままに新しく作られたレトロ風洋館も混じっています。
山手111番館
港の見える丘公園から韓国領事館へと向かう道の途中にスパニッシュ風の明るい洋館があるが、それがここ「山手111番館」である。J.H.モーガンの設計で1926年にアメリカ人両替商ラフィン氏の邸宅として建てられた。木造2階建てでコンクリート造りの地下室がつく。傾斜地に建っているので、地下室の一部には窓が付き、地下室に窓がある側からこの家を見ると一見木造3階建てのようにも見える。また、現在地下室には喫茶スペースが設置されている。
横浜市イギリス館
1937年に英国総領事公邸として建設された。鉄筋コンクリート2階建てで、設計は英国工務局上海事務所。1969年に総領事がイギリスに引き上げ、総領事公邸としての役目を終えた。土地と建物が競売に出された際に横浜市が買い取り、港の見える丘公園の施設として整備されるとことなった。2400㎡もの広大な敷地に立つ大柄な洋館であるところが個人の邸宅でなく、領事公邸らしい感じがする。
山手234番館
関東大震災で横浜を離れた外国人を呼び戻すための復興建築として3LDKの部屋が1階に2部屋、2階に2部屋の合計4部屋あるアパートとして1927年に建設されたもの。太平洋戦争後は米軍の接収を経て、1970年代半ばまでアパートとして使われ、1989年に横浜市が取得、再整備の上、1999年から一般公開をしている。
エリスマン邸
帝国ホテル旧玄関を手がけたことで知られるフランク·ロイド·ライト(Frank Lloyd Wright、1867~ 1959)の助手だったアントニン・レーモンドが設計、1926年にスイス人貿易商・フリッツ・エリスマンの邸宅として建てられた。元々は山手町127番地にあったが、1982年にマンション建設のため解体され、1990年に元町公園内に移築された。
山手資料館
1909年に中澤謙吉邸として本牧上台に建てられたものを移築したもの。本当はアニメ「となりのトトロ」のさつきとメイの家のように和風のお屋敷の書斎や応接間だけを洋館にした文化住宅の洋館部分だった建物だ。
フランス瓦に上げ下げ窓、下見板張りの外壁が戦前の洋館らしい雰囲気を出している。また、関東大震災と太平洋戦争をくぐり抜けた大変貴重な建物でもある。公開されている山手の洋館は横浜市で運営しているところはだいたい入場無料だが、ここは民営の施設。入場は有料で大人200円、小学生~高校生150円。月曜と年末年始が休館日で開館時間は11:00~16:00。
山手十番館
山手資料館のすぐ脇に建つフランス風のおしゃれな木造2回建ての洋館は山手十番館というフランス料理店。一見山手資料館と同時代にできた古い建物に見えてしまうが、実は1967年に明治100年を記念して建てられた戦後の新しい洋館。ランチは3000円前後、ディナーは5000~6000円ぐらい。
ベーリックホール
1930年にイギリス人貿易商B.R.ベーリックの邸宅として建設された。設計者は山手111番館と同じくJ.H.モーガン。戦前は住宅として使用され、戦後の1956年に宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、セント・ジョセフ・インターナショナルスクールの寄宿舎として使われ、2001年に横浜市に寄贈された。
えの木てい
山手234番館と同じ朝霞吉蔵設計で1927年に竣工した童話の中の家のように可愛らしい喫茶店「えの木てい」。実はこの建物、震災復興後に外国人向け賃貸住宅として建てられたもので同じデザインの建物が3軒あった。アゲサゲ式の窓や1階の半円アーチ、赤い窓枠、スタッコ塗(ザラザラのモルタル壁)の外壁がおしゃれなこの家、喫茶店として開業したのは1979年。店名は道路沿いの大きな榎の木から。
山手68番館
テニスコートのクラブハウスにもなっているこの建物は元々ここに建っていたものではなく、1934年にC.F.フランコ邸として代官坂上付近に建てられた平屋の木造バンガローを1986年に日本最古の西洋式公園である山手公園の中に移築したもの。「68番館」という名称はもともとたっていた場所の番地から命名。アーリーアメリカン風の下見板張りとベランダがどことなく明治期の古い西洋館を彷彿とさせる。
テニス発祥記念館
山手68番館のすぐ近くに建つ小さな洋館はテニス発祥記念館という日本のテニス伝来の歴史についての博物館である。ここもさぞや古い歴史を持つ外国人向け賃貸住宅を移築したもの?…とおもいきや、1998年に新築された平成生まれの新しい建物。ここの案内によるとテニスは1874年にイギリスで初めて行われたわずか2年後にこの山手公園で行われたのが日本のテニスの嚆矢で、当時は貴婦人たちがロングドレスを着て行っていたという。
外交官の家
アメリカ人建築家のジェームズ・ガーディナーの設計により、1910年に竣工した洋館。関東大震災に耐えた貴重な建物だが、最初から横浜・山手にあった建物ではなく、元々は東京都渋谷区南平台町にあったもので、明治から大正時代にかけて活躍、ニューヨーク総領事、アルゼンチン公使、トルコ特命全権大使などを歴任した外交官・内田定槌(1865~1942)の私邸だった。渋谷にあった頃は和風のお屋敷も併設されていたが、1972年に解体、1997年に洋館部分が現在のイタリア山庭園に移築された。
ブラフ18番館
関東大震災後に建てられ、戦後はカトリック山手教会司祭館として1991年まで使用され、山手イタリア山公園に移築された。オレンジ色のフランス瓦、窓枠を緑に塗られた上げ下げ窓に鎧戸、ベイウインドウにバルコニーなど明治大正期の古い洋館の面影を残しながら、外壁がえの木ていや山手111番館、234番館、ベーリックホールなどと共通するモルタル壁となっている点は関東大震災の経験を活かした防火を考慮したものといえる。また、解体時の調査で部材の一部が震災前の古い洋館のものであることが判明している。