東海地方や近畿地方にも昔の建物が残っています。名古屋市内だけでなく近郊や豊橋にも…。
豊橋ハリストス正教会1913年に建てられた愛知県下最古のロシア正教会の教会で、2008年に重要文化財に指定されている。銅板葺きの屋根で木造平屋下見板張りのビザンチン様式の教会はどこかメルヘンチックで美しい、 |
豊橋市公会堂なんとなくアラビア風建築物にも見える豊橋市公会堂。ロマネスク様式風だが、スペイン風のドームも付き、スパニッシュ・コロニアル・リバイバルという1910年代~1920年にカリフォルニアでで流行したスタイルを取り入れている。1931年竣工。 |
名古屋 |
愛知県庁舎1938年に昭和天皇御大典の記念事業として建設された。神奈川県庁本庁舎同様昭和初期に流行した鉄筋コンクリート作りのビルに和風の屋根を取り付ける「帝冠様式」で、特にこの愛知県庁舎の場合は屋根が名古屋城風なのが特徴的である。現役の県庁庁舎で1998年には登録有形文化財に指定され、2009年には免震工事も行われた。 |
名古屋市市政資料館歴史資料として重要な公文書等を保存するための施設なのだが、建物がかつての旧名古屋地裁のものである。1922年にネオ・バロック様式の赤レンガ・鉄筋コンクリート造りで建設された。1979年の裁判所移転で取り壊されることになったが、保存の要望が強いため、修復の上、文化庁の施設として利用されることとなった。また、1984年には重文にも指定されている。 |
名古屋市役所1933年に竣工した名古屋市役所。こちらもまた帝冠様式で昭和天皇即位の記念事業として建設された。設計は公募によって選ばれた平林金吾によるものをベースに名古屋市建築課が行なった。2014年に重文に指定された。「名古屋はええよ!やっとかめ」というつボイノリオの歌では名古屋が首都になったら名古屋市役所が国会議事堂になると歌われているほど威厳のある建物だ。 |
長久手市 | |
さつきとメイの家愛・地球博記念公園「モリコロパーク」の一角に立つ予約制の展示施設だ。元々は2005年に開催された愛・地球博のパビリオンのひとつでしかなかった。しかし、この家、昭和初期に結核患者療養のために建てられ、当の結核患者が亡くなって、空家となり、昭和30年代初頭にサツキとメイが引っ越してくる…という映画「となりのトトロ」の設定を忠実に再現した実物大レプリカだ。平成生まれながら、柱をほぞで組み、土壁に陶器瓦、解体した古い民家から採取した平滑でなく微妙に波打ち涙で滲んだように見える窓ガラスなど工法は全て昭和初期のもの。時代設定は映画のエンディングからほぼ1年後の昭和30年代前半で、お母さんが結核闘病を終え、サツキ、メイ、考古学者のお父さんとの4人暮しになっているという設定で、サツキは小学校高学年、メイは低学年となり、ランドセルや文房具も置かれている。台所にはへっつい。ガスレンジが普及する前の台所が見て取れる。中の案内員の説明で知ったのだが、当時はへっついに中華両手鍋を載せて油を注ぎ、とんかつや天ぷらを揚げていたのだとか。温度調節が大変そうだ。 入場は予約制だが、インターネットで予約し、ローソン・ミニストップ店頭Loppiで入場券を購入できる。入場料は大人510円、子供250円である。 |
東山梨郡役所1885年に建てられた擬洋風建築の郡役所。今では住所などの名残をとどめているが、1878年から1923年まで県と町村の間に郡という自治体が存在し、この郡役所は山梨県東山梨郡のもの。明治初期には西洋建築を本格的に学んだ人ではなく地元の大工さんが見よう見まねで作った洋館が建てられ、これを「擬洋風建築」という。 |
西郷従道邸1870年代の末か1880年代前半頃に東京・上目黒に西郷隆盛の弟・西郷従道が建てた家である。西郷従道は陸・海軍、農商務、内務等の大臣を歴任した明治期の政治家。こうした明治の元勲は自宅の敷地に自分が住むための武家屋敷風の和風住宅と応接用の洋館を立てることが多かった。保存されているこの洋館はフランス人建築家レスカスの設計によるフランス風の豪邸だ。 |
神戸山手西洋人住居1880年代後半から1890年代前半に外国人向けの住宅として神戸市生田区山本通に建てられた家。母屋は木造総2階建ての洋館で、離れは2階建て和風住宅で、こちらは使用人が寝泊りするためのものである。竣工後まもなく日本人の手に渡ったようで、1896年には日本人・増田周助の所有となっていたという記録が残っている。 |
学習院長官舎東京・乃木坂の旧乃木希典邸は木造平屋で外壁の下見板は真っ黒に塗られ、ひどく陰気な洋館だが、その乃木希典が学習院・院長を務めた際に建設された院長官舎もまたよく似た黒い板壁の陰鬱な洋館である。こちら学習院院長官舎は1909年竣工。接客や実務に洋館が使われたが、階段室で結ばれた2階建ての和風住宅も併設されており、こちらはプライベート用の日本座敷。 |
大阪 | |
浜寺公園駅天王寺から出発する路面電車「阪堺電気軌道」に乗って終点の浜寺駅前まで行くと木造・ハーフティンバーのシブい駅舎が建っていた。1907年竣工・木造平屋建ての浜寺公園駅舎だ。設計者は東京駅を設計したあの辰野金吾博士。つまりは木造の小さな駅ながら東京駅丸の内口と兄弟なのである。1998年には日本国登録有形文化財にも指定されている。 ところが、大阪府による南海電鉄連続立体交差事業で南海電鉄は高架鉄道に衣替えすることが決定、駅舎が解体されることになってしまった。 しかし、貴重な文化財であるところから、2008年に新たに作られる高架駅の入口に移築されることが決定した。新駅舎完成は用地確保が困難を極めたところから、2028年とかなり先だが、解体後同一デザインの駅舎を建てる予定の北九州・折尾駅とは違いオリジナルの駅舎が残される点は朗報とも言える。 |
ラインの館1915年にJ.R.ドレウェルの家として建てられた木造2階建ての洋館である。アメリカ下見板張りで外壁の横のラインが美しいことから「ラインの館」と命名された。横浜では同世代の洋館はほとんど倒壊してしまったため、明治・大正期の古い洋館が残る神戸北野町は横浜よりもぐっとシブい。しかし、阪神淡路大震災で煙突の落下や内壁ひび割れなどの被害があったため、補修工事が行われている。また、耐震工事のため2015年に内部公開を中止、2016年4月から2018年まで一時閉館し、全面的な工事を行うこととなった。 |
白い異人館1903年に竣工した木造2階建ての旧シャープ住宅で1980年に重要文化財に指定された。白く塗られ「白い異人館」とsjと称していたが、1987年の改修工事で元々は外壁が萌黄色のオイルペンキで塗装されていたことが判明し、竣工当時の外壁の色が復元され、以降「萌黄の館」を名乗ることに。 |