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日韓万華鏡

エレメカを探せ! 4

日本ゲーム博物館(愛知県犬山市)

エレメカの殿堂ともいえる博物館が愛知県犬山市のリトルワールドのすぐ近くにあります。それが「日本ゲーム博物館」。昭和から平成までのアーケードゲームが実際にプレイできる状態で設置されているだけでなく、2階には古時計、昔の家電、オルゴール、映画看板、ジュークボックスが展示され、前の庭にはムーバーや電動カートまであります。昭和のデパート屋上遊園地を偲ぶのに好適な場所ですが、食堂は併設されていません。食事はリトルワールドで頂くことをお勧めします。ということで、リトルワールドの行きか帰りに立ち寄るのが賢い利用法かも。実際、家族連れが結構来てゲームしてましたから。

エレメカ
ミニドライブ
関西精機製作所が開発したミニドライブ、ここ日本ゲーム博物館にもあった。しかも3台も。但し、私が訪問した2015年8月の時点ではそのうち一台のみが稼働していた。筺体の色は黄色で台場一丁目商店街のものとは色違いだ。しかもこちらは何故か椅子付き。座って運転できるようにしてある。ハンドルのガタつきはなく、運転は台場一丁目商店街のものよりもしやすかった。クルマは台場一丁目商店街と同くFRP製のメイヤーズマンクスバギーだが、助手席の女性の首がなくなってしまっている。
修理・調整がひょっとしたら必要かもしれない。
ウィリーバード
アメリカ・ミッドウェー社が1969年に開発した輸入もののエレメカ。電球が付いたところにヘリコプターを飛ばしてホバリングしながら電球が付いたスイッチにタッチをして電球を消すというヘリコプターゲーム。これはかなり難易度が高い。まずローターの起動スイッチを探さないといけない。どれが起動スイッチか分からずかなり右往左往した。ローターが回転すると上下前後のスロットルを操って上手くヘリコプターをホバリングさせなくてはならないが、なかなかうまくいかない。小学生のコには難しすぎるかも。難解さでいえば、電車でGO!を凌駕していると思う.
ミッドウェイシーレーダー
1969年に開発された潜水艦ゲーム。潜望鏡を見て、敵艦が見えたら、魚雷発射スイッチを押す。当たるとドド〜〜ン!という轟音と共に画面が真っ赤になり、敵艦が涼む。
しかしこれがなかなか当たらない。魚雷が途中で曲がっちゃったり、敵艦が過ぎた後にたどりついたりで。
何度もリプレイしたが、2発ぐらいしか命中しなかった。
戦時中のイ号潜水艦の乗組員でなくてよかった!
FBIガン
1970年代の射撃ゲーム。ライフルで出没するスパイを撃って倒す。KASCOのロゴ入りであるところからミニドライブと同じ関西精機製作所の作品であることが分かる。銃身がとてもリアルで、モデルガンショップで買い集めたものなのだとか。リアルすぎたせいで開発者が警察の検問に引っかかったという武勇伝もある。
キャプテンキッド
こちらも1970年代によく見かけた射撃ゲーム。ライフルで海賊をひたすら撃ちまくる。こういうパターンのゲームでマガモの群れを撃って狩りをして、終わると何羽カモを撃ち落としたか、カードで出てくるやつもあった。
これまた百発百中とはいかず悪戦苦闘。もしかしたら、私は射撃には向いていないかもしれない。
TAITO Super Road7
1970年代のごくごく一般的なレーシングゲームである。いまならデジタル画面だが、これは影絵のような映像をスクリーンに映している。ルールは90秒間に先行するクルマをひょいひょいとよけながらアクセルを踏みこんで前進するのみ。
後続車両にぶつけられたり、先行車両にぶつかると停まってそこで一気に周りのクルマに抜かされてしまう。アクセルを踏むとブィィィィン!と軽快なエンジン音がする。
メダルゲーム・ミニルーレット
これはデパートの屋上というより大型スーパーのゲームコーナーでおなじみのもの。受付でメダルを借りて各数字にメダルを賭けていくわけである。1回100円でコインを入れて遊ぶ方式ではなく、入口で入場料を払い、1時間券なら1時間分無制限に遊べるシステムなので、メダルをあるだけ賭けるなんていうスーパーでは決してできなかったぶっとびプレイもここでは可能だ。
ベースボール
一見、ピンボールの台みたいなのだが、実際には一人遊び用の野球盤だ。
エアホッケー
対戦型のエアホッケーだが、全長は1mぐらいでかなり小ぶりだ。
ボウリングゲーム
さわやか律子さんこと中山律子さんが女子プロボウラーとして大人気だった1970年代という時代を反映したようなボウリングゲーム。ゲーム博物館には2台もあったが、いずれもボールがなく、展示品状態。ちょっとやってみたかったんだけどなぁ。
ピンボール
ピンボールは台場1丁目商店街にもあったが、ここはワンフロア全てピンボールというコーナーがあり、ピンボールの保存と普及に力を入れているようだ。元々ピンボールは日本のスマートボールのようなもので、1931年にアメリカで「バッフルボール」という商品名で売り出された。戦前のピンボールは球を打ち返すためのフリッパーがなく、しかもスロットマシンのようなギャンブルのための道具だった。しかしアメリカ各都市でピンボールギャンブルが相次いで禁止になったことで、ピンボールは一時期衰退する。第二次世界大戦後の1947年にフリッパーが開発され、球を打ち返せるようになり、プレイヤーの腕の上手いヘタを競えるようになりここからピンボールはスポーツ的な様相を帯びてくる。なお、フリッパーは開発当初は上段、中段、下段についていたという。ここには本当はもっとたくさんピンボールがあるのだが、昔のデパートの屋上にあったような感じの古風なデザインのものを3つばかりチョイスしてみた。得点版やプレイフィールドのデザインが妙に派手なのは戦前ギャンブルマシンだったときの名残と言えそう。

ゲーム博物館にはこのほかエレメカ以外の収蔵品もあるので次のページでそれをみてみよう。