在来線の特急電車は1958年、気動車は1960年、新幹線は1964年に登場しました。いずれもスマートで洗練されたデザインが当時の子供たちを魅了しました。
クハ489-1 スカートにタイフォン(汽笛)が付いているのが特徴。クハ489-2も同じスタイル。実はクハ481-101もデビュー当時はこのスタイルで、後にタイフォンがボンネットのヘッドマークの両側下部に移されている。したがって、485系のページで紹介したクハ481-101は元々はこんな恰好だったというわけ。 | クハ489-501 クハ489-1の反対側。碓氷峠で補機であるEF63が連結されるため、専用のむき出しになった自動連結器とジャンパ連結器がスカートに付いていた。クハ489-502もこのスタイル。このスタイルはクハ180と同じであるため、181系廃車後、リバイバルときという記念列車運行時に、クハ180に見立てて走らせていた。 |
クハ489-5 クハ489-3、4もこのスタイル。タイフォンがボンネットのヘッドマークの両側下部二始めからついていた。ぱっと見はほぼクハ481−100番台と見分けが付かない。 | 春まだ浅い3月の信越本線御代田付近を走る489系白山。山の雪はだいぶ解けてきたものの線路と道路はまだまだ雪化粧のまま。赤いテールランプで分かるようにこれは走る列車を後から撮影したもの。最後尾はクハ489-3〜5のどれかだ。 |
3月の信越本線を行く白山。田んぼはまだ雪におおわれている。最後尾はクハ489-3〜5のどれかだ。ヘッドマークが白山でなければ485系と見分けがつかない。 | 3月の信越本線は脇の田舎道まで雪に覆われていた。撮影している間も雪が靴に入ってきて、実は足指の先が相当かじかんでいたのを覚えている。 |
ショートノーズタイプが嫌いだった! このサイトの485系にもこのページにもここまででクハ481-200番台、300番台、クハ489-200番台、300番台、つまりショートノーズタイプの車両が登場していないことを不思議に思われるかもしれない。 実は私、ショートノーズタイプが好きになれず、上野駅などで撮影していてもショートノーズタイプが来るとカメラを引っ込めていたからなのだ。 横軽協調装置があるかないかだけで、クハ481-200番台とクハ489-200番台、クハ481-300番台とクハ489-300番台はほぼ同じである。 200番台は貫通型、300番台は非貫通型と呼ばれている。 200番台は寝台特急電車581系、583系で完成された貫通型の運転台を踏襲している。デザイン的にはまぁ許せるが、運転士の間では隙間風が酷いと評判が良くなかった。 そのため200番台は後に九州方面に転配されている。 一方、300番番台は個人的な感想だがあののっぺりしたデザインがなんともカッコ悪かった。実際、ボンネットタイプの特急が好きな人たちからは不人気で「電気釜」「鼻ぺチャ」とあだ名され、口の悪い鉄道ファンからは上から見たフォルムがまるでドラキュラの棺桶だとまで言われた。 ボンネットタイプの特急のボンネット部分にはサービス電源用の電動発電機が搭載されていたが、それが小型化に成功し、床下に収めることが可能になったため、客室の定員を増やし旅行シーズンに少しでも席を取りやすくしようとしてショートノーズタイプが考えだされたことも勿論分かるのだが、「カッコいいな!アレに乗って旅に出たいな!」というわくわく感が全く感じられないのだ。 韓国には485系をプロトタイプとして1980年に日立製作所で設計と部品を準備し、大宇重工業で組み立てた9900系という電車がいたが、こちらの方がずっとスタイリッシュだった。ショートノーズでデザインが洗練されているといえば、九州方面行きブルートレインを最後まで牽引した機関車として知られるEF66形や新幹線の工事用ディーゼル機関車「新幹線911形ディーゼル機関車」を挙げることが出来る。これらをヒントにもう少しカッコよく作れなかったのかな…。 見る度にそう感じる。
ショートノーズタイプ車両の名作(よく見るとデザインが何だかみんな似てるけど…)
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