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日韓万華鏡

特急電車&気動車

在来線の特急電車は1958年、気動車は1960年、新幹線は1964年に登場しました。いずれもスマートで洗練されたデザインが当時の子供たちを魅了しました。

ギャラリー

気動車特急
キハ80系

 後に181系電車となる151系電車「ビジネス特急こだま号」が人気を博したため、蒸気機関車が客車を牽引する1950年代前半の東海道線特急のような状況だった東北本線の特急も動力近代化し、サービス面で見劣りがしないようにしようという目的で1960年に登場したのがキハ80系特急形気動車でした。
当初はビジネス特急こだまを意識し、ボンネットのあるキハ81形が編成の先頭に立ちましたが、分割併合運転で長い編成も短い編成も自在に組めるように改良しようと先頭車両を貫通型に改め、運転台を低くし、パノラミックウィンドウを設け、全面中央部に貫通扉を配置し、気動車特急独特の顔つきを完成させました。
キハ82を先頭にしたキハ80系特急形気動車は非電化区間のエースとして北海道から九州までの電化されていない幹線、亜幹線区間で幅広く活躍しました。
後に改良・出力増強型として導入されたキハ181系も全面デザインは概ねキハ82形のデザインを踏襲しています。
  小樽経由函館-旭川特急北海。小樽築港辺りで撮ったと思うが自信がない。実は当時の撮影記録がどこかに行ってしまったので…。以下北海道撮影のものは撮影場所未詳。

キハ81
キハ81 3
大阪交通科学博物館に展示されていた。1986年に準鉄道記念物に指定されている。1960年に上野と青森を結ぶ特急はつかり号用気動車としてデビューした。当時、初期故障が多かったため「がっかり型」などと揶揄されていたが、のちに、その顔つきからブルドッグという異名で呼ばれた。その後、つばさ(奥羽本線経由上野ー秋田)、いなほ(上越線経由上野ー秋田)、ひたち(上野-平)で活躍し、最終的にくろしお号(紀勢本線経由名古屋-天王寺)号として1978年まで活躍し、廃車となった。
キハ81 3 室内
181系電車とよく似たインテリア。1960年製造当時活躍していた151系ビジネス特急こだま号のイメージを生かしつつ差別化を図ろうとボンネットタイプとし、サービス電源用エンジンを横置きで搭載したため、ビジネス特急こだま号よりやや武骨なデザインとなった。車内もクハ181にはない売店を設置した。
キハ81 3 運転台
181系ときの運転台とよく似た雰囲気となっていた。翌年製造されたキハ82は客席の床よりやや高めに運転席のシートがセットされているだけで、低運転台車だったが、キハ81の場合はビジネス特急こだま号を意識し、運転台も高い位置にセットされている。なお、キハ81 3は交通科学博物館閉館後は京都鉄道博物館に移されている。
キハ82
特急おおとり(函館 - 網走)撮影地は北広島-上野幌辺りだった記憶があるが当時の撮影記録がなくなっていて、不詳。 特急おおとり 特急おおとり(函館 - 網走)撮影地は北広島-上野幌辺りだった記憶がある。電化後まもなくで架線柱などが真新しかった。

特急北斗 苫小牧付近で撮影したような覚えがあるのだが…。 キロ80車内 夏休みの北海道特急は席がかなりとりにくかった。普通車は一杯だったが、グリーン車なら席があるといわれ、グリーン車に乗った。
キハ181 やくも(伯備線経由 岡山-出雲市)
電化前の時代、伯備線井倉−石蟹旧線第8高梁川橋梁で1981年に撮影。電化され、381系電車が導入されるまではキハ181系11両編成が走っていた。