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日韓万華鏡

旧型国電

昔の電車はモーターが車軸と台車枠に吊り掛けられていて、これを「吊り掛け駆動方式」と言いました。走る時、グォォォォォンという重い音がするのが特色で、旧日本国有鉄道に在籍していた車両は、「旧性能電車」とか「旧型国電」などと呼ばれていました。

ギャラリー

17m級国電

 大正時代は台枠と台車以外木で出来た木造電車が走っていましたが、昭和に入ると車体の外壁が鋼鉄で出来た鋼製電車が登場しました。その最初期の電車は今のJR電車より車体の長さが3mも短い17m国電でした。
その古風な電車が昭和の終わりごろまで走っていたからビックリ!
初めてその17m国電に乗ったのは1978年頃、南武線浜川崎支線(尻手-浜川崎)に乗ったときのことでした。
当時電車ヲタクの間で流行っていた初乗り料金で大回り乗車をする遊びで横浜-桜木町をぐるっと東京都区内、千葉、埼玉、東京多摩地域を経由したのですが、その途中で浜川崎線に乗りました。オレンジか黄色の国電が来るかと思いきややけに古風な電車がホームに現れたのです。車内なんかニス塗りです。
そこでふっと思い出したのが、亡父(1905年~1991年)が話してくれた戦前サラリーマンの通勤風景です。
「昔のサラリーマンか?冷房のない、車内の壁が木で出来た電車に乗っていたぞ。扇風機すらついていなかったからな、夏は窓を全開に開けて、みんな麻のスーツにパナマ帽かカンカン帽をかぶって会社に行ったもんさ。暑いかって?そりゃあ、暑かったさ。」
その電車ってきっとこれだよな…。なんだかサザエさん原作本の波平出勤風景に登場するような電車でした。
横浜・鶴見の工場街を行く鶴見線大川支線クモハ12 052。1両だけの単行運転だ。元々は運転台が片方にしかないモハ31形だったが、戦後にローカル線への転出を考慮し、後部にも運転台を設置し、両運転台車両に改造した。
クモハ11 244
1931年にモハ31形として製造された車両。ロングシート3扉で昭和初期の典型的な通勤電車だ。
クモハ11 248
左のクモハ11 244と同じく1931年製の元もは31形。南武線浜川崎支線にはクハ16 200番台を連結された2両編成の電車が4編成8両ほど活躍していた。
 
クハ16 211
クモハ11 248に連結されている2両編成の相方。
クハ16 211室内
ニス塗りの壁と木の床が昭和初期の電車らしい渋さを感じさせる。

 古風な17m級国電は国鉄(現・JR)のローカル線だけでなく、一部はローカル私鉄にも払下げられました。
こちらはそんなローカル私鉄の一つ伊豆箱根鉄道大雄山線です。現在は工事用電車コデ165形(元国鉄クハ16 156)ぐらいしか残っていませんが、1980年代初頭ぐらいまで3両編成でお客さんを乗せてゴトゴト走ってました。
伊豆箱根鉄道モハ153号(級国鉄クモハ11 499)
元は木造電車を鋼体化改造したモハ50形。モハ50形はその後形式名称の統合・整理によってクモハ11 400番台となった。国鉄時代は運転席の全面窓中央部分に貫通扉が設けてあった。
伊豆箱根鉄道モハ66号
1992年に工事用電車コデ66形に改造され、1997年に廃車解体となった。元国鉄クモハ12 000号で1933年に製造され、当初はモハ34形を名乗った。

大雄山線17m級国電の運転台
ノッチに東芝のマークが入る。スピードメーターは後から付けたような雰囲気。ブレーキの圧力計が昭和初期のにおいを感じさせる。
大雄山線17m級国電の車内
上のクハ16車内とほとんど変わらないが、座席のモケットが緑色のものに交換されている。