昔の電車はモーターが車軸と台車枠に吊り掛けられていて、これを「吊り掛け駆動方式」と言いました。走る時、グォォォォォンという重い音がするのが特色で、旧日本国有鉄道に在籍していた車両は、「旧性能電車」とか「旧型国電」などと呼ばれていました。
クモハ40 0331933年製造の20m3扉ロングシート車。戦前は大都市の通勤型電車というと4扉車はなく、20m3扉ロングシート車と相場が決まっていた。クモハ40 071などとともに青梅線・五日市線で活躍していたが、中原電車区に転属、職員輸送用兼入換用に用いられていた。1980年12月廃車。 |
クモハ40 071大船電車区(現・鎌倉車両センター)では1970年代の終わりごろ職員輸送用に大船駅から電車区まで職員輸送列車を運行していた。元々は青梅線・五日市線用の車両だったが、青梅線に新性能車103系通勤型電車が導入されたとき、職員輸送用兼入換用として大船電車区に転属した。1983年4月廃車。国府津電車区にいた同型車両クモハ40 074はその後鉄道博物館に保存された。 |
クモハ40 059大船電車区(現・鎌倉車両センター)の職員輸送列車でクモハ40 071とタッグを組んでいたのがこの車両。2両とも半流線形車で揃えられていた。 |
クモハ40 059 室内そのクモハ40 059の車内がこれ。大船駅から電車区まで通勤する職員によほど喫煙者が多かったのだろうか!?スタンションポール(立客用握り棒)と交互に支柱が下についた灰皿が並んでいた。 |
セミクロスシート車 |
クモハ50 008 | クモハ61 003 | クハ68 404 |
元々は横須賀線用の2扉車モハ43だった車両。2扉車のページのクモハ42を片運転台にしたようないでたちだったが、整列乗車をした際に下の70系と連結すると2扉車と3扉車が混在し不便だということで、3扉に改装された。 | 1932年、片町線、城東線が電化された際にモハ40013として製造された。戦後、関東地方に転配となり中央線や横浜線に導入されたが、1957年に一度鳳電車区に配属されてから、飯田線に転属した。 | 1936年に日本車両で製造されたクハ68 030号にトイレを追加したタイプ。飯田線は路線延長が195.7 km もあり、起点から終点までずっと乗ると6時間はかかるといわれた路線だったため、飯田線導入に当たってトイレが増設された。 |
横須賀線、京阪神緩行線、中央本線(中央東線)、阪和線などの中距離電車向けに1951年から1957年にかけて製造され、導入された20mセミクロスシートの近郊型電車。オリジナルの先頭車は80系電車を3扉車にしたようなデザイン。但し、サロ75などの2等車、それを格下げし3等車にしたもの、更にそうやって作ったサハに運転台を取り付けたものといったタイプは2扉車となっていた。当初のカラーリングは横須賀線と中央東線は紺とクリームのいわゆる横須賀線色、京阪神緩行線はチョコレート色一色、阪和線はエメラルドグリーンと肌色の塗り分けだった。もともと上の20mセミクロス3扉車との混結にすることを前提にしていたので、1960年代〜70年代にかけてローカル線へ転属していった際に更に線区ごとに新たなカラーリングのものが出てきた。 仙石線(仙台-石巻)に転属したものはウグイス色、上越線・信越本線(新潟地域)に転出したものは新潟色と言われる赤と黄色のスキー場のヤッケを思わせるようなカラーリングとなった。下記に示したのが新潟色だが、雪の中で良く目立ち、温かみのある北国にふさわしい配色だったが、1978年に115系に置き換えられて全車廃車解体となった。この赤と黄色の新潟色は115系には引き継がれず、白地に紺のラインという雪景色の中ではあまり目立たなさそうなカラーリングになっていた。 また、1957年製のものは300番台と称し、内装や椅子の枠など全てのパーツが金属製の「全金属車」となり、後の近郊型電車111系を思わせるような作りになっていた。 |
クハ76 080 | クハ68 211 | クハ75 017 |
1956年製で1962年に京阪神緩行線から転属した。耐寒耐雪化のため、運行灯窓をつぶし、タイフォンとタイフォンカバーを取り付けており、そこが独特な新潟仕様となっている。 | 70系との混結で2扉車のままだと整列乗車を乱すところから横須賀線用2扉車クハ47073に扉を増設して3扉としたもの。新製当初はサハ48で、運転台を増設してクハ47となった複雑な経歴を持っている。 | 3扉車のページなのに2扉車?実は、これ、横須賀線用2等車サロ46018を改番したサロ75017を3等車に格下げし、運転台を付けたもの。2等車は今でいえばグリーン車であるため、シートは柔らかく、ゆったりしていた。 |