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日韓万華鏡

旧型国電

昔の電車はモーターが車軸と台車枠に吊り掛けられていて、これを「吊り掛け駆動方式」と言いました。走る時、グォォォォォンという重い音がするのが特色で、旧日本国有鉄道に在籍していた車両は、「旧性能電車」とか「旧型国電」などと呼ばれていました。

ギャラリー

20m級国電
4扉車
73系電車
 その昔、63系電車という通勤型電車がありました。太平洋戦争まっただ中の1944年、武器工場へ人員を動員するための通勤輸送用電車として開発されました。それまで通勤型電車と言えば20m3扉でロングシートの車両でしたが、一度に乗降可能なように4扉にしました。戦後の通勤電車が4扉になったのは63系電車が立席が多く、ラッシュ時に輸送力を発揮できたからです。しかし、問題点もありました。戦争中だけに電装品の絶縁部品が粗悪品。窓用大型ガラスの入手が困難なため、3段窓とし、2段目を固定。屋根が木製ペンキ塗りで燃えやすい素材だった。非常用ドアコックの表示がない。貫通路のドアが開き戸だった。それが1951年4月24日、桜木町事故という大惨事につながりました。
 架線工事のミスで垂れ下がった架線によりショート、電車が炎上しました。屋根が燃えやすい。貫通ドアは逃げようとして殺到した乗客の圧力で開かない。3段窓の2段目が開かないので外に逃げられない。非常コックの位置が分からないので乗客は自力脱出出来ない。そのため106人もの乗客が焼死、92人が重軽傷という大規模な事故になりました。
 おかげで63系電車は市民の間から「皆殺し電車」「殺人電車」「ロクでなし電車」と呼ばれることになってしまいました。
 そこで、63系の抱えていた戦時中の欠陥設計を改め、3段窓の2段目を開けられるようにする、貫通ドアを引き戸にする、内装や天井を燃えにくい材質に改めるなどの更新修繕を行い、形式名称も73系に改めました。
 以降1957年まで73系として増備が進められ、1957年に製造されたものは920番台と名乗り、70系電車、80系電車の300番台と同様に全ての部品が金属製の全金属車となりました。
 63系電車は旧日本国有鉄道だけでなく、「運輸省標準型電車」という名称で現在の東武、小田急(当時は東急小田原線)、相鉄(東急厚木線)、名鉄、南海(近鉄南海線)、山陽電鉄など大手私鉄にも供給され、代わりにこれらの大手私鉄は自社の中型・小型電車を供出させられ、それらの電車がローカル私鉄に供給されました。
 戦後はその名残で、63系が73系に改装された際に私鉄各社も63系電車の車体乗せ換えを実施しています。
 73系は関東や関西の通勤電車に導入されましたが、これらの路線で新しい通勤電車が導入されると、地方に移っていきました。
 当初塗色バリエーションはチョコレート色一色でしたが、地方に移っていった車両は様々な色に塗装されました。
  
ウグイス色→仙石線、可部線 (当初、仙石線は朱色とクリームの塗り分けの気動車色だった)
朱色→大阪環状線、片町線、阪和線(大阪環状線の場合は新型車両の導入が遅れたのにしびれを切らしてチョコレート色の73系を強引に塗り替えてしまったため)
横須賀線色(紺色とクリームの塗り分け)→ 御殿場線
水色→富山港線 

個人的にはこの中で横須賀線色が一番カッコ良かったと思っています。

色別73系紹介

チョコレート色(鶴見線)

























クハ79930−モハ72687−クモハ73029の3両編成。ほぼ全金車の編成。鶴見線はクハ79 920番台などの比較的新しい車両が集まっていた。

全金改造車と全金車
クモハ73 509
製造当初はモハ63で更新修繕でモハ72形中間電動車となった車両を運転台を追加した上で全金属製車体にした車両。クモハ73形は最初からクモハ73形として製造された車両はないが、更新修繕工事を経てクハ79とモハ72の920番台車並みの車体となったものが少なくない。鶴見線所属。
クハ79 936
鶴見線に所属していた全金車・クハ79 920番台車の936号。1957年製でドアが片開きでカラーリングがチョコレート色一色である点でかろうじて旧性能電車のイメージを保っているが、壁も屋根も鋼鉄製でこの車両が製造された翌年登場した101系新性能通勤型電車と遜色がなく、古臭さをあまり感じさせなかった。

クハ79 930 室内
鶴見線電車クハ79 920番台の車内。床は油臭い木の床ではなく、古い車両ではおなじみのスタンションポールも廃止され、近代的な雰囲気となっている。
クハ79 488
鶴見線所属の半鋼製車。1956年製で、屋根は鋼鉄製となったが、部品の一部はまだまだ木造だった。ヘッドライトは埋め込み式だが側面は古風なシルヘッダー付き。
モハ72 970
鶴見線きっての珍車。1972年に郡山工場でモハ72 587の足回りに103系通勤型電車の車体を載せるという改造で出来上がった。1974年には同様の改造をしたものが仙石線に導入され、73系の車体に113系用車体をかぶせたもの(モハ62/クハ66)が身延線に導入された。後に車体の状態が良かったところから、これらの車両の中から車体をそのまま流用し、足回りだけを103系の物に交換したものが出てきている。
横須賀線色(御殿場線)




































御殿場線を行くクハ79 937。御殿場線も全金車など比較的状態が良くきれいな車両がそろっていた。
青空のもと、横須賀線色の73系が快走する姿はなかなかカッコ良かった。この御殿場線は普通列車は横須賀線カラーの73系だったが、急行列車は小田急ロマンスカーのあさぎり号で73系に交じってやってくると風格を感じさせた。

























クモハ73 030
元63系の古いクモハ73を吹田工場で全金属化改造して出来た車両。食パン形のフロントマスクに横須賀線色のこの姿、そののち、韓国で韓国鉄道庁所属の地下鉄1号線電車を初めてみたとき、カラーリングもシルエットもそっくりだったため、少々驚かされた。
クモハ73 900
1948年製モハ63848を更新修繕したモハ73174を1956年に全金属改造したもの。正面中央に大きな方向幕窓が付いているのが特徴。傾斜した運転席窓と共に、翌年登場する73系920番台のデザインや仕様をこの時点であれこれ研究していた様子がうかがえる。

クハ79 939
近代的な雰囲気のクハ79 920番台。クモハ73900と比べるとヘッドライトがおでこのところに埋め込まれ、方向幕が中央から右に変更されている。
サハ78 113
1947年に63系付随車として製造され、その後御殿場線に転属するにあたって、トイレを追加し、3段窓を2段式アルミサッシに変更している。
サハ78 113室内
元々が近畿車両製の63形だっただけにアルミ2段サッシは入ったものの、壁はニス塗り、床はコールタールを塗った油臭い木の床だった。

水色(富山港線)
全金属改造クモハ73049を先頭にして走る富山港線 4連。シルヘッダーのない全金車と全金属改造車で統一された編成はなかなか美しい。

クモハ73 195
1948年製元63系モハ63531を修繕更新したモハ73195を1963年に全金属化したもの。
クハ79 920
クモハ73 195の反対側がこちら。水色のクハ79920番台車は一瞬京浜東北線に見えてしまう。
クモハ73 195 運転室
左のクモハ73 195の運転室
 ウグイス色(可部線)


ウグイス色の73系は仙石線(仙台-石巻)と可部線(横川ー可部)に配属されたが、安全対策ということで、仙石線は運転席の窓の下に黄色い警戒色の帯をしめ、可部線は 運転席窓の上下をオレンジ色に塗り、ちょっとサイケデリックな警戒色にしてしまった。

クモハ73 021
1948年日車製63系モハ63501を更新修繕し、さらに全金化改造を行ったもの。地元の子供たちが「可部線はボロじゃけのう。こんな電車どこがええんじゃ」と言ってるぐらいで当時の可部線かなりくたびれた車両が目立っていたが、その中でこの全金化改造車は状態が良かった。
クハ79 370
1954年近畿車両製の制御車。63系そのものの顔つきから近代的な全金車に至る途中の過程といった顔つきの車両で、運転室窓は傾斜しているが、ヘッドライトの方は埋め込み式ではなく、屋根の上に乗っかる形になっている。
私鉄版73系
東武鉄道7300系
ぱっと見た瞬間におやっと思うスタイル。前面は旧国ならクモハ40辺りのスタイルですが、側面は4扉車でシルヘッダー付きで、クハ79400番台みたいな感じ。

これが大手私鉄に引き渡された63系を車体の乗せ換えでほぼ73系と変わらない形にした東武鉄道版の73系電車だ。
切符は硬券

昭和時代はもちろん< ICOCAも自動改札機もなかった。代わりに改札口のラチには駅員が立ち、切符を切っていた。また、ローカル線ではボール紙で出来た切符「硬券」が使われていた。

鶴見線昭和駅乗車券
鶴見線昭和駅の乗車券
富山港線岩瀬浜駅入場券
富山港線岩瀬浜駅入場券