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日韓万華鏡

SL/DL/EL/PC
ディーゼル機関車

非電化区間の客車列車はお任せ
気動車やレールバスばかりが目立ち、地味な存在のディーゼル機関車。戦前は炭鉱とか肥料工場など火気厳禁の場所での入換用として採用されていましたが、当時のディーゼル機関車は性能が低く、SLの方がずっと高性能だったため、本線で列車を牽引することはありませんでした。
本線用の最初のディーゼル機関車はDD50形。DDの記号で分かる通りディーゼルで4軸が動軸。ただ、運転台が片っ方にしかなく常に2両背中合わせにつないだ重連運転をしなければならず、非力であったため、普及することがありませんでした。
非電化区間の幹線でディーゼル機関車の姿が見られるようになったのは1957年からです。

DD51 1155が牽引する函館本線の鈍行列車

DD13 638
かつて大阪・交通科学博物館に展示され、その後、津山扇形機関車庫に移された。DD13形ディーゼル機関車は1958年に開発された入換用液体変速式ディーゼル機関車。「液体式」はエンジンと動輪を液体変速機でつないでいるタイプのディーゼル機関車。車でいえばオートマみたいなもの。クラッチでつなぐギア変速のディーゼル機関車は戦前にあったが故障が多くすぐに廃車になったとか。1〜110までのDD13 はヘッドライトが写真の638とは異なり、ボンネットの正面中央に1つだけついて、一つ目小僧のような顔つきだった。
DE10 1041
1966年に開発され、1978年までに708両も製造されたローカル線の客車列車、貨物列車の牽引も車両基地や貨物ターミナルの入換もこれ1台でOKという万能機関車。派生形として、貨物ターミナル専用大型入換機関車DE11や先端にラッセル雪かき車の先端部分をアタッチメントとしてくっつけるDE15も登場している。工事列車の牽引から支線を走る特急やイベント列車の牽引も行い、SLを淘汰し、動力近代化を果たした立役者と評判も高い。

大宮駅の二軸入換ディーゼル機関車
これは正式な鉄道車両ではなく、車両基地やヤードで入換を行うスイッチャー。鉄道車両としての車籍はなく、工場の備品みたいな扱い。でも車両基地で電車や客車の入換には欠かせない働き者!
またの名を「貨車移動機」、「入換動車」ともいう。
似たような車両で保線用車両牽引専用タイプもあるが、そちらは「モーターカー」という。違いはスイッチャーは最高時速が25キロぐらいまでしか出ないのに対し、モーターカーは45キロぐらい出せる。
DF50 18
1957年に開発された日本最初の幹線用ディーゼル機関車。しかし、当時国産の優れたディーゼルエンジンはなかったため、外国メーカーのエンジンをライセンス生産するしかなかった。エンジンはマン(ドイツ)とスルザー(スイス)の2種類があった。また、DF50形は電気式ディーゼル機関車といって、エンジンと車輪をトランスミッションでつなぐのではなく、エンジンを発電機につないで電気を起こし、その電気でモーターを回すシステムをとっていた。写真のDF50 18は大阪・交通科学博物館に展示されていたが、同館閉館後津山扇形機関車庫に移された。

DD54 33
亜幹線区間のエース機関車としてドイツとライセンス契約を結び、エンジンなどの技術供与を受けて1966年に開発された液体変速式ディーゼル機関車。ドイツ連邦鉄道機関車を手本にしたスタイリッシュなボディーで山陰本線ブルートレイン特急出雲の先頭に立ったが、ドイツとの連携がうまくいかず、液体変速機や冷却ファンの故障、推進軸折損落下などの事故が相次いだため、SLより短命で、製造から7年以内に全車廃車という悲劇に見舞われた。
推進軸折損事故では機関車自体がひっくり返ったため、SLを撮りに来たファンから「ズッコケ君」と揶揄されることも。大傘・交通科学博物館にこのDD54 33のみが保存され、あとは全車解体された。交通科学博物館閉館後は京都鉄道博物館に移管予定。
DD51 842
1962年に開発され、1978年まで製造された非電化幹線用大型機関車。DD51形こそがまさに非電化区間のエースで、カシオペア、北斗星の北海道内区間牽引やお座敷客車牽引など華やかな活動もある一方で、長距離コンテナ列の先頭にも立っている。
写真のDD51 842は尾久車両センター公開イベントで姿を見せたもので、なぜか北斗星のヘッドマークを付けている。反対側にはカシオペアのヘッドマーク。
また、廃車になった一部のDD51形機関車はミャンマーやタイ、マレーシアに譲渡されている。