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日韓万華鏡

SL/DL/EL/PC
電気機関車

電化区間で客車や貨車を牽引するのは…
架線から電気を取り入れて大きなモーターを回し、客車や貨車を品忍して走るのが電気機関車で、架線から取り入れる電気の種類により直流電気機関車、交流電気機関車、交直両用電気機関車の3つに分類できます。
機関車の形式の付け方ですが、EF○○とあるとEはElectric(電気)の頭文字。その次のFは片側から見た動輪の数が6つ(=動軸が6つ)を意味します。
そのあとの数字は2桁で、10〜29は最高時速85キロ以下の直流電気機関車 30〜39は最高時速85キロ以下の交直流電気機関車 40〜49は最高時速85km/h以下の交流電気機関車 50〜69は最高時速85キロ以上の直流電気機関車 70〜79は最高時速85キロ以上の交流電気機関車 80〜89は最高時速85キロ以上の交直流電気機関車です。
そして90番台は試作品です。

直流貨物機関車
ED16 13
鉄道省が1931年に18両製造した中形電気機関車。当初は中央本線に配属されたが、最晩年は立川機関区に所属し、青梅線で石灰石列車を牽引していた。1984年に全車廃車。戦前生まれの旧型電気機関車としては長命で53年にわたって活躍した。
なおトップナンバーのED16 1は青梅鉄道公園に保存され、1980年に準鉄道記念物に指定された。
EF13  25
EF13は1944年に戦時型機関車として資材不足に対応し、製造工程や機能を大幅に簡略化して登場した。当初の姿は車体の前後にボンネットが付くスイスで開発されたクロコダイルと呼ばれる機関車によく似ていたが、戦後後述のEF58の車体に乗せ換えることで外観が一変、デッキ付きの古風な貨物機関車のいでたちとなった。なお、写真のEF13 25のボディーはEF58 8の旧ボディーと乗せ換えている。

EF15 165
1947年から1958年にかけて製造された戦後の標準的な貨物機関車である。台車や電気機器部品をEF58と共通化してある。貨物列車の淘汰により1978年から廃車が始まり、1985年に全廃となった。
大阪府摂津市・新幹線公園(EF15 120)や碓氷峠鉄道文化むら(EF15 165)などに静態保存機がある。
EF16 31
一部のEF15は勾配区間向けに回生ブレーキを取り付ける改造を行った。それがこのEF16形電気機関車である。左のEF15を勾配区間で使用すると下りでブレーキを使い続けることとなり、ブレーキシューの摩擦熱で車輪の焼き嵌タイヤが緩むトラブルが発生するため、前述の改造が行われた。
奥羽本線(福島―米沢)区間で使用するタイプと上越線で使用するタイプがあった。写真は石打駅で撮影した上越線用のもの。
EH10 40
1954年から1957年までに64両が貨物用大型機関車で「マンモス」の異名がある。片運転台式中形電気機関車2両を背中合わせにつないだような形状をしており、旧日本国有鉄道が製造した唯一の8軸機関車である。
この機関車が開発される前は東海道線の関ケ原峠が6kmに及ぶ10パーミル(1m進むごとに1cm上る)勾配が難所で、既存のEF15では1200トンの重量級貨物列車を牽引する場合は補機を必要としていた。
それを1両の機関車で牽引できるようにと開発されたのがこのEH10である。
EF15と同等のモーターを8基搭載し、定格出力2,530kW。EF60が開発されるまでは国鉄最大の出力を誇っていた。


最高時速85キロ以上の国鉄直流機関車























                
東大宮-蓮田を行くEF58 119牽引急行津軽

EF55 1
1930年代の世界的な流線形ブームに乗って、1936年にたった3両だけ作られた流線形機関車。特急つばめ、富士などの友党列車を牽引した。しかし、当時の列車の最高時速は95キロ!100キロにも満たない!空気抵抗を減らす効果はないわ後の運転台は回送用のしょぼい奴で電気機関車のくせに終着駅で一々転車台で方向転換しなくてはならないというややこしさで現場でもてあまし気味の機関車だった。本当は客車列車の前後に連結してプッシュプルにでもすれば良かったんだろうけど、当時は機関車の総括制御技術なんて未熟だったので無理…。このもてあまされた機関車は1952年に高崎第二機関区に転属、高崎線で活躍。1962年に3号機が部品取り用に廃車解体。1964年に1号機と2号機が廃車。2号機は解体。この1号機は中央鉄道学園の教材として保存となった。その後1986年に動態保存をするため復元。イベント列車に使用された。現役時代は「カバ」「靴のお化け」とあだ名をつけられたが、1986年の復活時には「ムーミン」と呼ばれた。
EF58 172
1946年から1958年までの間に172両が製造され東海道、山陽、東北、上越といった直流電化幹線の旅客用機関車として活躍した。初期型31両は完成当初デッキ付きの古風なデザインだったが、古いボディーをEF13に提供し、80系電車を彷彿とさせる前面が2枚窓となった近代的な車体と乗せ換えている。
ピカピカのチョコレート色に塗られた60号機、61号機はお召列車専用機関車だったもので、そのうち61号機は旧国鉄大井工場に後悔はされていないが保存されている。デビュー当時のブルートレインあさかぜ号の牽引機となったほか、特急はくつる、あかつき、彗星、日本海、つるぎ、急行銀河などのブルートレインも牽引している。
写真の172号はEF55 1のイベント列車運行時に高崎機関区で展示されていたが、現在は碓氷峠鉄道文化むらに展示されている。

EF60 505
1960年に旧日本国有鉄道が幹線の高速貨物列車用に開発した直流機関車。500番台はブルートレイン用に製造されたが、高速性能に優れたEF65 500番台が登場すると、性能が同じ0番台と共通運用となり、以降貨物用機関車として用いられ、ブルートレイン用機関車が不足していたときも復活せず、その任をEF58が担っていた。
EF62 29
1962年に勾配区間用直流電気機関車として開発され、主に信越本線で活躍した。碓氷峠補機専用機関車EF63と連結し協調運転することが出来た。また、通常のF形電気機関車は2軸台車を3つならべたB-B-Bという動輪配置となるが、この機関車は3軸台車を2つならべたC-Cというかなり特殊な動輪配置でも注目されていた。

          
EF65 536
1965年に開発された平坦路線向け直流電気機関車。そのうち500番台はブルートレイン牽引用。EF60が最高時速100キロだったのに対し、EF65の最高時速は110キロだった。0番台(一般貨物用)500番台(うち501 - 512・527 - 531と535 - 542がブルートレイン牽引用、513 - 526・532 - 534が高速貨物用)、1000番台が重連運転も可能な高速貨客両用だった。
EF66 31
1966年に試作機901号(デビュー当初はEF90形)、量産機が1968年から1974年に製造されたほか、平成元年から3年にかけてJR貨物が100番台を製造している。
東海道・山陽本線の高速貨物用として開発されたが、1985年にブルートレインにロビーカーが増結され、牽引定数が増加、EF65では牽引力が足りないところから、最後のブルートレイン牽引機となった。

最高速度85キロ以上の交流電気機関車と交直流電気機関車























                  黒田原を行くED75牽引の旧型客車鈍行列車
ED71 34
東北本線黒磯以北電化に合わせ、1959年から1963年にかけて製造された旧国鉄交流専用電気機関車で東日本の機関車らしく、50Hz専用車である。田の字形に配置された機械室のルーバーが特徴。総出力2040KWで日本のD形交流機関車の中で最強のモーターを搭載している。
ED73 1018
1962年から63年にかけて製造された九州向け交流専用電気機関車。ブルートレインの九州島内区間の電気機関車として活躍した。横から見るとひらがなの「く」の字になっている全面デザインが特徴的。

ED76 38
1965年から1979年まで製造された交流電気機関車。九州仕様と北海道仕様があり、九州仕様は貨物用が0番台で、ブルートレイン用が1000番台となっており、写真の38号機は貨物用。上熊本の踏切にやって来たコンテナ列車をパチリ!北海道仕様は500番台を名乗り、正面に貫通扉が付き、車体が九州仕様より1m長い。(九州仕様:17400mm 北海道仕様:18400mm)
EF80 63
1962年から1967年までに67両が製造された旧日本国有鉄道の交直両用電気機関車。常磐線上野-平で寝台特急ゆうづる、急行十和田などの旅客列車や貨物列車を牽引したほか、水戸線、総武本線、外房線などで活躍した他、東北本線上野-黒磯臨時列車も牽引した。1986年に全廃。写真の63号機は碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。