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日韓万華鏡

SL/DL/EL/PC
客車 A10系客車


A寝台車

オロネ10
戦前生まれの古い2等寝台車と置換えるために1959年から1965年にかけ日本車両と日立製作所で作られた開放式A寝台車。20系ブルートレイン客車A寝台ナロネ21形とほぼ同じだが、ドアが手動一枚開き戸(20系は手動折り戸で車掌室からドアロックがかけられる)で、旧型客車との混結も可能、サービス電源用発電機を搭載したといった点がナロネ21形と異なる。デビュー当時はチョコレート色で2等車を示す青い帯が窓の下にひかれていたが、他の10系客車と同様に後に紺一色に塗り替えられた。
左から佐久間レールパークで新製当初の姿に復元されたオロネ10 27、急行鳥海に連結された最晩年のオロネ10 2020 オロネ10 2051のベッド。

B寝台車
10系B寝台車は長距離急行の寝台車として欠かせない存在だったが、一部は「からまつ」(小樽 ― 釧路)、「はやたま」(名古屋―亀山ー天王寺)、「山陰」(京都ー浜田)、「ながさき」(門司港―佐世保)など夜行鈍行にも連結された。
オハネフ13 2606
旧ナハネフ11 2606である。10系B寝台車のシリーズとして1962年に製造されたが、元々は昭和30年代に盛んだった団体旅行向けの寝台車だった。製造当初は冷房がなかったが1968年に冷房改造されてオハネフとなった。客車記号のハネはB寝台車のこと。フは車掌室付きを示す。その前のナやオは車体重量の等級を示すもので軽いものから順にコ・ホ・ナ・オ・ス・マ・カとなっている。まぁいうなればボクシングのナントカ級みたいなものと思えば良い。ナハネフがオハネフとなったのは冷房装置の追加で重量が増したということを示しているのである。ベッドの幅は戦前の3等寝台車と同じ規格で52cm長さ1.9mで3段ベッド。大変狭くて寝返りを打つことも大変なことから、養蚕農家の蚕になぞらえて「蚕棚」とというあだ名をつけられていた。
オハネフ13 2606の外観(左)とベッド部分(右)

座席車
ナハ11&ナハフ11
日本で最初に登場した軽量客車はナハ10形で1955年に登場。当初は室内照明が白熱灯だった(後に丸形蛍光灯に改造された)。その改良型で当初から蛍光灯付きで1957年から1959年にかけて日本車両と日立製作所(日立製造分はナハ11のみ)で製造された。ナハフ11はナハ11に車掌室を追加した車両である。
ナハ10からの10系三等客車はシルヘッダーなし、広くて大きなアルミサッシ1段降下窓のヨーロピアンスタイルの客車。スハ43系までの従来のボックス席の枠が木で出来て、ニスかオイルペンキが車内の壁に塗られた鈍重な旧型客車とは明らかに違う近代的なスタイルから特急かもめの三等座席車にも用いられたが、その多くは急行列車の普通車指定席として使われていた。
ブルートレインの20系にも当てはまることだが、この10系客車には思わぬ欠点があった。それは旧型客車より重量を3割減らすという大胆な軽量化を行った結果、車体や足回りの鋼板が強度限界ぎりぎりまで薄くされ、旧型客車がまだまだ走れるのを尻目に製造後20年程度で急速に老朽化し、1970年代後半から80年代前半にかけて一気に廃車され、ナハ11・ナハフ11の普通車座席車で保存されたのは碓氷峠鉄道文化むらに保存されたナハフ11 1ただ1両である
写真は左:ナハフ11 2021、右:ナハ11 2088車内