カヤ21 71976年から1978年にかけて急行銀河用にこれまであさかぜ用に走っていた20系電源車の荷物室に空気バネ用のエアコンプレッサーを搭載し、カヤ21と改名したが、元は寝台特急あさかぜ号の電源車兼荷物車のカニ21。寝台特急電源車だった時代、荷物室は新聞輸送に使っていた。 |
ナハネフ22 6寝台特急の掉尾を飾る車掌室付きB寝台車。丸みを帯びたパノラミックウインドウ付きの優美な最後尾部分は向かって左が展望室、右が車掌室になっていた。ただ、この車掌室、ラジオのサテライトスタジオみたいに中が丸見えなのでシャイな専務車掌さんは金魚蜂みたいだ!と嫌がっていたとか。 |
ナロネ21 | ||
10系客車のA寝台「オロネ10」とほぼ同じ設計だが、固定編成で他の20系客車としか連結できなかったナロネ21.1,960mm×1,046mmの広い2段ベッドが左右に並ぶその配置はマイネ41を踏襲したもの。なお、20系のA寝台車にはこのほか下記の写真のような開放式寝台のほかに1人用個室寝台6室が付いたナロネ22形や一人用個室と二人用個室だけで構成されたナロネ20形というものもあった。 |
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写真は左からナハネ20 326室内、ナハネ20 322ベッド、ナハネフ22 18の展望室 | |||
星の寝台特急ブルートレインの元祖といえば1958年に登場した20系客車。そのB寝台内部はこんな感じだ。ナハネ20は1958年から1970年にかけて253両製造された20系ではメインとなるB寝台車。20系寝台客車は優美な外観で絵本を見た子供たちのあこがれの的になったが、欠点が3つばかりあった。 一つはB寝台の居住性。10系客車B寝台と同様の寝台幅52cmで3段というのは如何にも狭すぎで寝返りも打てず、着替えもし辛く、養蚕農家の蚕になぞらえ蚕棚というあだ名を頂戴していた。二つ目は10系寝台車同様に軽量化を進めていたため、車体や台枠の鋼板が大変薄く、20年余りで老朽化して大量に廃車が出てしまった。優美なデザインからファンも多かったが、動態保存もできず、静態保存も埼玉県の鉄道博物館(ナハネフ22 1)や北海道の狩勝線ミュージアム(ナロネ21 551・ナロネ22 153・ナハネ20 132)、福岡市東区貝塚公園(ナハネフ22 1007),京都鉄道博物館(建設中。完成後ナシ20 24展示予定)などがあるが、これまでSLホテルなどの施設として保存されたものは腐食の上解体撤去というところも少なくない。 |
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