本文へスキップ

日韓万華鏡

SL/DL/EL/PC
蒸気機関車

全盛期のSLを知らない…
リチャード・トレビシックが1802年に発明し、ジョージ・スチーブンソンが1829年に実用化した蒸気機関車。日本には1872年に入ってきて、1976年3月2日の追分機関区入換作業を最後に現役のSLは姿を消し、日本のSLは静態保存と動態保存のSLだけとなりました。私が鉄道写真の撮影を始めたのがこの1976年の4月頃から。
つまり私は現役の蒸気機関車は見たことがありません。
従ってご紹介できるのは旅先で撮影した静態保存・動態保存のSLをほんのちょっぴりです。
悪しからず…。

ギャラリー

タンク機関車
1928年に鉄道省(現在のJRグループ)が制定した機関車の形式称号は見ただけでその機関車がどんな車両か分かるようになっている。動軸数(片側から見た動輪の数と言い換えてもよい)がアルファベットで表されているのだ。シングルドライバー(同軸数1の機関車。実際には今までかつて作られてない)ならA,2軸ならB、3軸ならC,4軸ならD,5軸ならE…という塩梅です。これが電気機関車なら同軸数のアルファベットの前に電気機関車を示す記号「E」が付き、ディーゼル機関車の場合は同軸数を示すアルファベットの前にDが付きます。その後の数字は10〜49がタンク機関車、50〜99がテンダ機関車です。
タンク機関車とは機関車の側面や後部に水や石炭を積むタイプで、たくさん石炭や水を載せられないため、短距離用です。
一方、テンダ機関車とは炭水車といって水と石炭を積んだトロッコのような車両を機関車本体の後につないだタイプで水と石炭をたくさん積めるため長距離用とされていました。
C11 227
1942年に日本車両で製造され、北海道・標津線を最後に国鉄を引退1975年から大井川鉄道「SLかわね路号珠旅気機関車として活躍。2014年から夏休みに機関車トーマスに改装され、幼児の人気を集めているが、鉄道ファンの間ではあまり評判が良くない。
C12 6
1933年に汽車製造で製造され、新製当初は名古屋に配属されたが、1941年以降北海道各地で活躍、1973年に廃車。1973年から小樽交通記念館で保存されている。
テンダ機関車
こちらが機関車本体の後に炭水車のあるテンダ機関車。機関車本体はボイラーと運転室だけです。


























C56 44
長距離ローカル線用機関車として1936年に三菱重工で製造され、北海道・千歳線などで活躍していたが、太平洋戦争で南方戦線に軍用機関車として送られた。戦後はタイ国鉄に在籍していたが、1979年にC56 31(靖国神社で保存)と共に「復員」。復元整備の上、大井川鉄道で運行を続けている。


























C57 1 「SLやまぐち号」
1937年に川崎車両で製造され、水戸、宇都宮、千葉、新津、佐倉と活躍の場を移して1972年に梅小路蒸気機関車館の動態保存機関車となった。1979年からは山口線のSL観光列車SLやまぐち号として運行している。この写真は1981年8月に撮影したもの。客車は2005年にリニューアル改造され、現在はレトロ風客車となっている。
まはC57 1は1961年に脱線転覆事故を起こし大破が長野工場で5カ月かけて修復したという。噂ではこのとき、ほとんどの部品を既に廃車となっていたC57 2のものと交換したともいわれている。
C5075
下記の8620形蒸気機関車の改良型として1929年に川崎車両で製造された。8620形より牽引力をアップしたはずだったが、曲線通過性能が悪く、軸重も重く、脱線が多かったため乗務員には不評。そのため、ローカル線と入換だけでほぼ一生を終えてしまった薄幸の機関車だった。この写真を撮影したときは足立区中央公園に展示されていたが、1992年北鹿浜公園に移設された。
C55 50
細く、優美なボイラーから一見貴婦人と言われたC57に見えるが、よく見ると動輪が放射状のスポーク動輪。それがC55形蒸気機関車。C57形はその改良型である。50号機は1937年汽車製造製で、小樽交通記念館で保存されているが、当初は戦前流線形カバーが取り付けられたことのある30号機が保存される予定だった。連絡ミスで30号機は解体処分されてしまい、代わりに保存されたのが50号機だったのだとか。
C58 1
1980年6月、横浜港の開港120周年を記念して東横浜-山下埠頭にC58牽引のSL列車が走ったことがあった。乗車は抽選。運よく当たって乗り行ったのだった。旧型客車のボックス席は4人がけだが、そこに6人詰め込まれた。かなりきつかった…!
C58 1は1938年に汽車製造で製造され、大宮や北見等に配属され、ローカル線の主力機関車として活躍、1972年に梅小路蒸気機関車館に展示された。山口線のSLやまぐち号が運転されるとC57 1の予備機となり、ときどき上記のC57 1との重連運転も行っていたが、ボイラー損傷により梅小路蒸気機関車館で静態保存されることとなった。
C61 2
梅小路蒸気機関車館で動態保存展示運転中のC61 2号機。D51のボイラーを利用し、それにC57と同タイプの動輪を付けて1948年に三菱重工で製造した機関車。はくつる号仙台-青森やブルートレインはやぶさ九州島内区間等特急列車牽引も行った機関車。
梅小路蒸気機関車館では「SLスチーム号」を牽引する姿をときどき見ることが出来る。
はくつる号時代の僚機・C61 20はJR東日本の手で2011年に復元され、「SLみなかみ」及び「SL碓氷号」としてD51 498と共に運行している。
C62 3
GHQの指導で終戦直後旅客用蒸気機関車の新規製造が出来なかったため、だぶついている貨物機関車を改造するという名目でD52 458のボイラーを利用し、1948年に製造された。新製当初は糸崎機関区に所属し、山陽本線の特急、急行列車の牽引を行ったが、1956年に苗穂工場でボイラー交換と軸重軽減改造を行った上、小樽築港機関区に転属した。1976年に小樽・北海道鉄道記念館に保存展示された。1988年にSLニセコ号として復活するが1995年に運転終了。現在は苗穂工場で保管されている。写真は北海道鉄道記念館展示時の姿。
明治・大正期の古典機関車
1927年以前に製造された古い機関車は1〜9999の数字で千と百の桁が形式番号を表していました。そのうち1〜999がB形タンク機関車、1000〜3999がC形タンク機関車、4000〜4999がD形〜F形タンク機関車。5000〜6999がB形テンダ機関車、7000〜8999がC形テンダ機関車、9000〜9999がD〜F形テンダ機関車となっていました。
下二桁は00〜99で製造番号としていましたが、100台目からは一万の桁を使ってました。
国鉄230型蒸気機関車233号
一見イギリス風の機関車だが黎明期の日本製。A8形というダブス社、ナスミス・ウイルソン社、バルカンファウンドリー社で製造されたタンク機関車を1903年に模倣して汽車製造で製造したもの。交通科学博物館で展示され、2004年に鉄道記念物、2007年に機械遺産に指定された。
2109
明治時代にイギリス、ドイツ、アメリカから輸入したB6形機関車(2100形、2120形、2400形、2500形などメーカーごとに形式名称が別れていたが、一般にB6形という名前で総称されている。)の1両で2109号は1890年にダブス社で製造されたもの。1970〜75年に大井川鉄道で動態保存運転を行い、その後千頭駅や金谷駅構内で展示されていたが、1993年に日本工業大学技術博物館が譲り受け、8月と12月を除く毎月第3土曜日に構内運転を行っている。
5500形蒸気機関車5540号
青梅鉄道公園で静態保存されているこの機関車は1897年にイギリス・ベイヤー・ピーコック社で製造されたもので、明治後期から大正時代初頭の代表的な旅客用機関車だった。1962年に鉄道開業90周年を記念し青梅鉄道公園が開設されたとき、同所に保存展示された。
8620形蒸気機関車8630号
8600を別の機関車が系式で照合で使っていたため、この機関車だけは形式称号が8600ではなく、8620。日本で初めて量産化に成功した大正期を代表する旅客用蒸気機関車である。8630号は梅小路蒸気機関車館で動態保存されていて、ときどき構内運転されている。
8700形蒸気機関車8722号
8700形は1911年にイギリスのノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社で製造されたオリジナル機と1913年に汽車製造で製造されたコピー機があり、8722は1913年製コピー機の方。東北本線、岩内線等で活躍したのち1953年に北海道拓殖鉄道に払い下げ、1957年に雄別炭礦鉄道に再譲渡され、1970年に廃車、釧路製作所本社工場で保存している。
ナローゲージの機関車
軽便鉄道や森林鉄道などJR在来線のゲージ1067mmより狭い線路幅の鉄道をナローゲージといいました。日本の軽便鉄道や森林鉄道では主に762mmゲージが用いられました。
丸瀬布いこいの森・雨宮21号
北海道紋別郡遠軽町の森の中にある丸瀬布森林公園いこいの森。
この公園内に全長2kmの「森林鉄道」が敷設されていて、そこで動態保存されているのがこの雨宮21号。
1928年に東京・深川の雨宮製作所で製造され、かつて遠軽町にあったムリイ森林鉄道で18号機として活躍。1958年に廃車されたのち、解体されず保管されていたものを1980年に復元、動態保存を開始した。2009年には近代化遺産に指定された。30分〜1時間間隔で運行しており、料金は高校生以上500円、4歳以上250円。筆者は1982年に訪問。運転席で記念撮影もさせていただいた。
西武山口線・532号
西武球場前―西武遊園地にはレオライナーという新交通システムが走っているが、1984年5月14日まで、その区間は西武山口線という軽便鉄道が走っていた。1972〜1977年には頸城鉄道2号機「謙信号」と井笠鉄道1号機「信玄号」が運行されていたが、老朽化のため、台湾製糖からSL2両(527,532)を購入し、1977年からSL運転廃止までその2両で運行を続けた。
SL運転廃止後、532号は左記の丸瀬布いこいの森で静態保存された。また、527は西部遊園地内のレストランで展示されていたが、レストラン廃止後、台湾に引き取られ、台湾・高雄市内の博物館で保存されている。