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日韓万華鏡

昭和の古民具5

昭和日常博物館2

「北名古屋市歴史民俗資料館」の収蔵品を見てみましょう。

収蔵古民具
家電製品
電気釜
下町風俗資料館の電気釜と同じ東芝製だが、こちらは保温機能が追加されて、おひつにご飯を移さなくても良いようになっている。ボタンは3つに増え、左から切・温・炊となっている。その上のランプは左上の赤ランプが保温、右の白ランプが飯炊となっている。昭和40年代初頭のもので、わずか10年で技術がかなり進歩している。
スチームアイロン
平安時代に着物のシワを伸ばすのに丸い器に炭火を入れて使う火熨斗という原初的なアイロンが存在した。そして江戸時代は炭火でコテを焼いて使う焼きゴテとなり、明治時代には英国から炭火アイロンが輸入されていた。電気式のアイロンは1910年にアメリカで考案され、それが改良を加えられ、蒸気を出すスチームアイロンやかける面がフッ素加工されて焦げ付かないようになっていった。
ポップアップ式トースター
トースターにはオーブンタイプとポップアップタイプがあるが、最近ではポップアップ式トースターはあまり見かけなくなってしまった。縦置き式の箱型で、スライスした食パンが収まる溝があり、下のつまみで焼け具合を調節。食パンを入れ、ハンドルを下に押し下げると、ちょうど焼けた頃にぽんとパンがトーストになって飛び出す仕掛けになっていた。このつまみの調節が下手だと、生焼けで真っ白なうちに出てきたり、真っ黒焦げになって煙を上げながら出てきたりするのでそれなりに技術を要した。このように細かく焼き食い愛を調節できないタイプは2種類の熱膨張率の異なる金属板を貼り合わせてて作ったバイメタルでスイッチをON・OFFするものだ。その部分を改良したものが電子タイマー方式。
中にニクロム線を配し、高い消費電力でパンを焼くこの装置を考案したのは実は電球や蓄音機を考案したことで知られるエジソンだ。
電気事業を成功されるため、電球以外の電気の使い道としてトースターを考案したと言われている。
ちなみにこのスタイルのトースターはピザトーストのようにチーズをのせたパンや、ピーナッツバターやチョコレートスプレッドをたっぷり塗ったバターは油分が発火する上、分解掃除が容易にできないようになっているため、焼くことができない。
ここの写真にあるような昭和40年代頃の製品は花柄が当時留意移行していたためか、ポット同様花柄模様がついているものが多い。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          
扇風機
扇風機はモーターの発明とほぼ時を同じくして、アメリカでモーター製造技術を応用して考案されたもの。日本ではゼネラルエレクトリック社の技術で東芝が1894年から発売を開始した。戦前の国産扇風機は重電メーカーが相次いで参画したせいか、三菱、日立、富士電機、川崎重工など電気機関車部品や電気機関車そのものを手がけるメーカーが進出してきたところが面白い。中でも川崎重工(当時は川崎造船所)は左右だけでなく同時に上下にも首振りをする扇風機を発売している。戦前のものは羽が金属製4枚羽だったのが、戦後は主にプラスチック製3枚羽に変わっていった。高度成長期にエアコンが普及すると一時廃れたが、2011年の東日本大震災以降、省エネの観点から扇風機は見直され、人感センサーで人が来たときだけ動くようにするものや羽そのものがない等の改良型が次々と発売されてきている。
トランジスタラジオ
トランジスタラジオは日本では1955年8月にソニー(当時は東京通信工業)が発売した。元々はテキサス・インスツルメンツが開発した技術で、世界最初のトランジスタラジオは1954年末に発売されたリージェンシー社の4石ラジオTR-1である。それまで大きくて消費電力も多かった真空管ラジオが乾電池で作動するこの小さなトランジスタラジオの登場により、お茶の間から姿を消していった。ラジオがコンパクト化したところから個室や屋外でも放送を聞けるようになり、これが深夜放送ブームへと発展していった。左と中央のラジオは昭和時代のそうした古いトランジスタラジオ。一番右のものはゲルマニウムラジオを1〜2個のトランジスターで増幅するタイプの簡便、安価なもので輸出用ではTOY RADIOなどと呼ばれていたもの。組立キットも出回っていた。
私が小学6年のときに学校の電気クラブでそのラジオのキットを組立て、ニッポン放送が入ったことに感激、ずっと聴いていたら、土曜日の深夜になった。
「わんばんこ!鶴光でおまっ!ねぇちゃん、ええ乳しとりまんなぁ〜!」という笑福亭鶴光師匠のオールナイトニッポンがかかり、ビックリ!あの放送を境にいたいけな児童の目が歳をとり、多感な思春期の少年へと変貌していったのだった。そういう意味でトランジスタラジオは子供を大人に変える魔法の小箱でもあったわけだった。
電気冷蔵庫
電気冷蔵庫は英語で「Refrigerator」、氷式冷蔵庫は「ICE BOX」。
映画「ALWAYS 3丁目の夕日」でも大きな氷を入れて使う木製の箪笥のような氷式冷蔵庫が駆逐され、電気冷蔵庫がやってくるシーンが出てくる。日立製作所が1927年に試作するなど、戦前からあるにはあったが、普及するのは昭和30年代からで、白黒テレビ、洗濯機と合わせて3種の神器などと言われていた。
気化により物体の温度が下がる現象を冷やす原理としており、閉ざされたパイプの中を冷媒ガスが循環する。かつての冷蔵庫は冷媒ガスにフロンが使われていたが、地球のオゾン層破壊という公害問題から現在ではイソブタンや代替フロンに切り替わっている。
初期の冷蔵庫は今のように冷凍食品が普及していなかったので現在よりかなり小さく、また、中の冷却パイプによく霜がびっしりとついて、それを剥がすのに一苦労していた。
冷蔵庫には冷凍庫がつきもので、この冷蔵庫の普及により、家庭でダイヤアイスが作れるようになり、手軽にアイスコーヒーやアイスティーが飲めるようになり、また、夏はかき氷も家庭で楽しめるようになった。
家事
豆タイル貼りの流し台
システムキッチン普及以前の流しとして下町風俗資料館Aで職人さんの手作りによるトタン板を曲げて作った流しを紹介したが、こちらにはコンクリート製で表面を豆タイルで仕上げたタイプが展示されていた。
へっつい
羽釜を載せてご飯を炊くへっつい。かまどともいう。下町風俗資料館のものよりも動かしやすそうな感じで、こちらのほうがへっつい幽霊が出そうな感じだ。ガスレンジが普及していない頃はここに中華なべを載せて天ぷらなどを上げていたそうだが、温度調節が難しそうだ。
おひつ
電気釜に保温機能が付くまではご飯を炊くと「おひつ」というサワラ材のフタ付きの桶に入れていた。炊きたてのご飯を入れるとおひつの木が余計な水分を吸い取り、冷えると水分を補うようになっていて、ご飯がベタついたり硬くなったりすることを防いでいた。今でも旅館や料亭などではこのおひつを使っているところがある。
買い物かご
スーパーで買い物するとレジ袋を使うか、持参のトートバッグを使うだろうと思う。しかし、昭和40年代ぐらいまでは籐や竹などを編んで作った買い物かごを利用していた。ついでにいうと、その時代、スーパーもあるにはあったが、商店街で買い物をする場合の方が多かった。対面式で店員と顔なじみというのもごく普通の時代だった。
たらいと洗濯板
洗濯機が普及する以前、洗濯といえば、たらいと洗濯板を使っていた。たらいに湯か水を張って、洗濯物は洗濯板のギザギザの部分にこすりつけて洗っていた。洗剤は洗濯石鹸を使うが、それ以前はコメのとぎ汁を使っていたとか。ちなみに韓国では洗濯板は洗濯機があるのにも関わらず現役。男性でも軍隊経験からか、下着などを洗濯板で洗うのだ。
ゴム製水枕
熱があると昔はこのゴム製の水枕に氷水を入れてその上に頭を乗せて寝たものである。アイスノンという保冷剤入りの枕が登場すると徐々に廃れてしまったが、心地よいと昨今見直されている。1872年の京都博覧会で紹介され、現在のような形になったのは1923年にダンロップが作ったものからである。頭痛や発熱、脳を冷やして脳症を防ぐなどの効果があるとか。
ブリキ製米櫃
10kgのコメが入るブリキ製の箱。最近はプラ製が主流だが、かつてはこんな金属の箱でおコメを保管していたのだ。コメの管理は主婦の特権だったようで、嫁姑の争いで、姑がコメを米櫃から出す作業をして、米を研ぐのは嫁にやらせる…なんてこともあったようだ。
足踏み式ミシン
下町風俗資料館で紹介した足踏み式ミシンはここ昭和日常博物館にもあった。プロの仕立て屋さんだと足だけで逆回転させたり、針を狙った位置でぴたりと止められたそうである。見ての通り電気製品ではないため、開発途上国で電気のない地域への無償譲渡がNGOなどの努力で行われている。
エアーポット
昭和30年代は単に魔法瓶で急須に湯を注ぐときは取っ手のついた魔法瓶を持ち上げていたが、昭和40年代に画期的なものが考案された。それがこのエアーポット。押すだけポットとも言う。
水鉄砲の原理で上のボタンを押し込むとお湯が出てくるようになっている。
この押すだけポットも電動式タイプが普及するのに従ってだんだんと見かけなくなってしまった。
この展示品のものは緑と黄緑のラインだが、昭和40年代は流行なのか、むしろ花柄模様のタイプが多かった気がする。この時代はちょうどカップ麺が出始めた頃。
手で持ち上げる魔法瓶よりはカップ麺いお湯を入れやすいことは確かだ。
これでカップ麺に熱湯を入れていた記憶のある方は多いのではないだろうか?
女の子のちょっとしたおしゃれ
ブラウスとひも付きプリーツスカート
ちびまる子ちゃんもそうだが、昭和40年代の小学生女子がよく着ていた服といえば、襟がレース状の白いブラウスにひも付きのプリーツスカートだ。赤やら青の単色も珍しくなかったが、この展示品はむしろ少数派の花柄。どちらかといえば、これは相当派手でおしゃれだ。よそゆきのものだったのかもしれない。
鏡台
おにゅうの服を買ってもらうとこの鏡台の前で着てみてくるりと回ってみたことのある方はいるだろうか。この鏡台は畳部屋で座布団に座って使うタイプだが、もう少し背の高いものはストールに座って化粧などをするもの。これは鏡1枚だが鏡が3枚ある三面鏡もあった。

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