我が家で探してみる
このホームページをやるのにあたって家の中で昭和の昔からある古いものを探してみました。引越しや大掃除で相当捨てられて姿を消していました。まぁ、普通の家庭ならそんなものでしょう。昭和時代にはどこの家庭にもあった懐かしのグッズ、生活用品。これらをまとめて「昭和古民具」と命名してみました。 「昭和古民具」、きっとあなたのご家庭にもあるはずです。このコーナーではまず自宅や古いアルバムから見つけたものと、専門の博物館に展示されていたものを紹介していきたいと思います。 |
幼年時代のアルバムから… | |
ペダルカー今から約半世紀前の古い写真である。場所は新宿。2〜3歳の子供が私。そして若いお母さんが2015年に他界した母で、この頃は30そこそこだった。私も今ではアラフィフのおっさん。それがこんな幼児なわけだから、まぁ時代は東京オリンピックぐらいか。 乗っているのはペダルカー、すなわち足こぎ式の車である。今なら、ボディーはプラ製だろうが、これはブリキ製。50年代のアメ車っぽいデザインが新鮮でなかなかかっこいい。 後に取っ手を取り付けて乳母車としても使えるようになっていた。 しかし、ハンドルを握っているのは私である。つまりは母がまっすぐ行こうとしているのに私がステアリングを切ってしまうとぐいっと曲がってしまうし、逆に曲がって、横丁に入ろうとしているときステアリングを真っ直ぐにしておくと横丁には入れないわけである。 そうなると、母はおそらく「はい!ハンドルを右に切って!ダメじゃないの!そっちは左よ!ばかぁ!」って私を叱り飛ばしていたな…。きっと。 私は左利きで、「お箸を持つ方の手を挙げて!」というと左を上げていた子供だ。 なので、右左をこれで覚えていたに違いない。 小学1年の3学期が終わりに新宿から横浜市金沢区に引っ越した際に母はこのペダルカーを近所の託児所に上げてしまったようだったが、それまで、私はずっとこのペダルカーを愛用していた。 隣に2歳年下の美和ちゃんという女の子がいて、ときどきおままごとの相手をして遊んでくれたが、一人っ子ゆえにひとり遊びの機会も多かった。 このペダルカーでやっていたのはタクシーごっこ。 赤ちゃんのとき、ほぼ等身大でサックドレスを着たかなり大きなキューピー人形がいたので、それを後に座らせて「お客さん、どちらまで?あ、はい、新宿駅ですね!」なんて会話をしていたのだった。 |
手回し式鉛筆削り小学1年にあがるとき、進学祝いで当時名古屋に住んでいた叔父がプレゼントしてくれたものだ。さすが1960年代製。本体がプラではなくなんとブリキだ。堅牢だったので、息子が小学校に上がるときに譲って高校ぐらいまで使ってもらった。 |
万年筆と青インキ母の遺品から出てきた生前使用していた万年筆と瓶入りの青インキである。近年、水性ボールペンの普及により、万年筆自体見かけなくなってきた上、あってもインキはカートリッジ式が大半なのでガラス瓶に入ったインキも珍しくなった。 |
缶切り最近の缶詰はほぼプルトップタイプで、これを使うのは我が家でもゆであずきか一部のフルーツ缶ぐらいになってきた。若い世代の方だと、これってどう使うの?ってことを言い出しかねない。使い方はこうである。まず、U字型になった缶の縁を引っ掛ける部分を缶の縁に引っ掛ける。そしてくちばし状になった部分を缶の縁の内側に押し当て、缶の中に差し込む。缶切りを少しずつずらしてくちばし状の部分を缶に突き刺して、抜いて、ほんの少しずらして、また突き刺す…。缶を回しながら、これを繰り替えてしていくとプルトップでない缶を開けることができるというわけである。ちなみのこの缶切りは私が幼児の頃から家にあり、小さい頃は手の力が弱すぎてくちばし状の部分を缶に突き刺すのがうまくできなかった。 |
母の形見のティーカップ母が独身時代に購入した紅茶のカップ。コーヒーカップだと口が狭目で背が割と高いので、紅茶カップでほぼ間違いないと思う。地の色は生成り色で、椿の柄が昭和レトロっぽい感じだ。しかも取っ手が木の小枝風でかなり凝っている。もっとも、うちの母はこのカップのデザインが妙に少女趣味だと恥ずかしがって生前ついに使わなかった。古風ながらおしゃれな感じがすると思うのだが…。 1960年代後半から1970年代にかけての時代は花柄が流行し、ポットも急須もエプロンも花柄ということがよくあったが、これはその花柄流行のはしりとも言えるかもしれない。 |
家庭用かき氷機子供の頃に愛用していたかき氷機。食べ物・スイーツコーナーで紹介した「氷汁粉」は夏が来るとこれでせっせと作っていた。注目していただきたいのは箱。お母さんの髪型と女の子のファッションが1960年代風だ。一緒についているアルミ製のタッパーみたいな容器は中に水を入れて冷凍庫で氷を作るための型である。 |
中華両手鍋愛・地球博記念公園「モリコロパーク」の一角に建つさつきとメイの家。そこの台所にも置かれていた中華両手鍋。これ昭和30年代にはかつや天ぷら揚げるときの天ぷら鍋としてもっとも一般的だったようだ。同じような中華両手鍋、我が家にもあって幼年時代から母が天ぷらやトンカツを揚げるときに愛用していた。 |
旅行トランク母が北海道から上京する時使っていたトランク。おそらく1950年代に売られていたものだろう。今見るとやや小さめで車輪もついていない。表面はビニールレザー張り。割と軽いので中の骨組みは金属やFRPではなく、木製かも知れない。最後は母の入院の時の着替えやらいろいろなものを入れて運ぶにに使った。 |
ジョニーウォーカーのマスコットジョニー・ウォーカー (Johnnie Walker) といえば英国のスコッチウイスキーのブランドである。ジョニ赤こと赤ラベル、ジョニ黒こと黒ラベルのほか近年はゴールドやブルーといったラベルもある。これはジョニ赤のマスコット。なぜか我が家のガラスケースに昔からあったので1950年代か60年代のものだろうと思われる。 |
検札用の車掌パンチ電車の車掌が使う車内補充券用のパンチである。「車内補充券」とは無人駅から乗ってきた乗客や乗越客やグリーン券がない人が社内でグリーン券を購入するなど駅で購入した正規切符がない乗客のための切符。路線図のような券面になっていて、乗車駅、降車駅、料金の部分にこれで穴を開けるのである。同様のパンチを実はバスの車掌さんも持っていた。バスの車掌さんは「切符をお切り致します!」と言いながら車内を回り、紙製の回数券風の切符を切って乗客に渡し、降車時に回収する。バスの場合は区間の部分にパンチを入れていた。 車掌の鋏といえば、検札用ハサミもある。これは特急の車掌が車内を回って乗客が正しい切符を購入しているかチェックする「検札」で使うためのものだ。そちらは穴を開けるというよりも切符に刻印を入れるためのものである。 |
蚊帳となりのトトロでサツキとメイが蚊帳に入るシーンがある。その実物がこれ。今からもう10年以上も前のこと。横浜市都筑区にある横浜市歴史博物館に当時はまだ幼かった子供たちを連れて行ったとき、常設展示か企画展示かは分からないが、とにかく蚊帳があった。見つけた子供たちは早速中で遊んでいた。実は私はこの蚊帳を使ったことがない。あったのは蚊取り線香だけだった。幼年時代の夏の思い出といえば、蚊帳ではなく、蚊取り線香の煙で真っ白になった部屋だった。ひと晩得ると、喉がいがらっぽくなり、体は蚊取り線香の煙でいぶされて煙くさくなったものだ。 それだけに蚊取りマットが初めて薬局の店頭に並んだときは嬉しかった。もう煙い思いをしなくって済むんだな…って。 |