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日韓万華鏡

昭和の古民具3

下町風俗資料館A

不忍池の辺に位置する下町風俗資料館展示物の続きです。


収蔵古民具その2
公衆電話
江戸川乱歩の「怪人二十面相」の記述で警察に通報するとき電話機の右側のクランクをジィィィィ〜〜っと回し、交換台を呼んで「九段の53番お願いします!」なんていっているのがある。小説のは固定電話だ。同じような電話が昭和30年代初頭が舞台となっているアニメ「となりのトトロ」でサツキがお父さんが教授を勤める大学に電話をするシーンで出てくる。これはその公衆電話版。「Automatic telephone」を直訳して、その名も「自働電話」。こういう電話ボックスは横浜の外人墓地の近くにもあるが、そちらは中身が現在の電話機が入っているが、この展示品のものは交換手扱い時代の電話機が取り付けられている。公衆電話なので硬貨を入れる。その際に交換手がお金の落ちる音を聞いて確かめてから電話をつないでいたそうだ。
郵便ポスト
下町風俗資料館の入口前に設置されたポスト。これも展示品かな!?…と思ったら、なんと、現役。集配時間になると本物の郵便車がやって来る。
丸型ポストが考案されたのは1901年のこと。発明家俵谷高七氏が考案し、「俵谷式」と呼ばれた鉄製のものが設置されたのが最初のこと。その後差し出し口回転式、回転板省略形などが製造され、戦時中には物資不足でコンクリート製となった。写真のタイプは「郵便差出箱1号(丸型)」と呼ばれ、1949年から製造されたもので、1970年に角形が登場するまで日本各地に設置され続けた。横浜市には現在中区元町巌島神社と栄区椎郷屋商店の2箇所だけ残り、東京都区内は5箇所のみ残っているという。するとこれはその5箇所のうちの一つ?…貴重だ!
吸入器
耳鼻咽喉科に扁桃腺を患って行くと、吸入器を使わされる。鼻炎だとV字型の先端部を鼻の穴に突っ込むが、喉の場合だとマスク状のものを鼻と口にあてがう。吸入器は病院で使うものだろう?…と思っていたら、家にそういう機材があって、喉を痛めると使っていたそうだ。ネットで検索するとコンプレッサー式ネブライザ という名称で1万円前後で販売していることはわかったが、家庭でこういうのを使うのって果たして一般的なのかどうか…。
体温計
今なら電子体温計が一般的だが、昭和時代は水銀式体温計が常識だった。展示品は昭和30年代初頭のものなのか、体温計をしまっておくケースが木製だが、私の幼年時代はプラスチックの筒にこの展示品のような体温計をしまうようになっていた。体温計の中身は有毒な水銀。間違って割っちゃうと「触るな!」とかいわれて大騒ぎだった。図るのも3分以上かかっていたし。そんなところから電子体温計に取って代わられ、今では全く見かけなくなってしまった。
屋敷稲荷
デパートの屋上によく設置されていた屋敷稲荷。商売繁盛を願って稲荷大権現を祀っているわけだが、農家や商家だと個人でもこうして屋敷稲荷をお祀りし、豊作や商売繁盛を祈っていたのだった。
神棚
新興住宅地やマンションだとあまり見かけないが、神道信者だったり、お祖父さんお祖母さんがご顕在のご家庭だとあるのが神棚。神社から頂いた御札をお祀りする小さな神社で、機能的には屋敷稲荷と同じだ。
電気釜
東芝製のこれは1955年に発売を開始した「自動式電気釜」である。バイメタル機能を利用したもので、お米を研いで、分量の水を入れてセットし、電気釜の中央下部に見えるスイッチを押すと、自動的にご飯が炊け、炊き上がるとガチョンと小さな音を立ててスイッチが切れる。今時の炊飯器のようにタイマーもなければ保温機能もない。
流し
ステンレス製のシンク台がついたシステムキッチンが登場する以前の流し台といえばこれ。職人さん手作りのトタン板を曲げて作ったシンクとガス台で構成され、食器洗い桶がわりにここではホーローの洗面器が置かれている。普通は真っ白なのだが、これは金魚のプリントがされていてなかなか凝っている。皿洗いはスポンジではなく、亀の子束子だ。
黒電話
子供の頃、これはうちにもあった。ダイヤル式の黒電話だ。押しボタンはないので、ダイヤルする番号の穴に指を入れて、指留まで回して手を離す。8なら8のところに指を突っ込んで指留まで回す。間を開けずに数字を最後までどんどん回すのだ。小林明子の「恋に落ちて」という歌にも登場するが、平成時代生まれの人には使い方、わかりにくいかも…。
ダイヤルの中心には自宅の電話番号を記入するようになっていたが、もう少し古い電話だと「受話器を耳にあてて、ツーという音(発信音)を確かめてからダイヤルを
まわしてください。」などと書いてあった。
牛乳箱
牛乳はスーパーで1リットルサイズの紙パックを買ってくるのが普通だと思う。しかし、かつては新聞と同様、配達してもらっていた。そのころは紙パックではなく180ccの瓶牛乳。幼年時代、トイレか何かで夜明け前に目覚めるとバタバタバタ、カチャンカチャンカチャン…と牛乳配達のミゼットのエンジン音と牛乳瓶が触れ合う音が遠くからどんどん近づいて来るのが聞こえたものだった。うちの前まで来ると牛乳箱に瓶が入れられ、トン!と箱の蓋の音、次にはミゼットのエンジン音が遠ざかる音がした。その頃の配達用ミゼットと牛乳箱には牛乳会社のロゴが入っていた。
白黒テレビ
我が家では1970年、新宿から横浜に引っ越した際にカラーテレビを導入したが、新宿に住んでいた頃はここの展示品同様、四本の足がついて、中に真空管が入った白黒テレビを見ていた。「白黒」というが、実際には私が見た限り、黒いところはダークグリーンぽい色で白のところは淡い水色だった。小学1年生のときはゲバゲバ90分もサインはV(いずれも1969年当時の人気番組)白黒で見ていたため、横浜に越して初めてサインはVの主役「朝丘ユミ」のブルマーが赤だと知ったのだった。
ステレオ
前のページのラッパ型蓄音機に対し、このステレオは「電気式蓄音機」、「電蓄」などと呼ばれていた。これはスピーカー内蔵式だが、うちにあったのはスピーカーが外付けになったセパレートタイプ。アナロクレコードの再生には必要なものだが、レコード盤が傷んでいると同じところを何度も繰り返したり、音が飛んだりするし、シャリシャリ音が聞こえるし、今と比べると音質は悪かった。因みに初めて買ってもらった童謡以外のレコードははしだのりひことシューベルツの「風」だった。
コリントゲーム
逆U字型になったこの盤面は珠江が低く、弧を描いている部分が若干高く作られている。おもちゃのバットのような棒でビー玉を打ち出し、穴やU字型のゴールにビー玉を入れて得点を競うゲームで昭和初期に日本にやってきた。パチンコやデパートの屋上で昔よくみかけたピンボールの原型とも言えるゲームだ。なぜか夏休み工作でベニヤ板を使ってこれを作ってくるヤツ…いたよなぁ。
ブリキのジープ
太平洋戦争に破れ、米軍が「進駐軍」として日本にやってきたとき、日本はほぼアジアの最貧国の一つともいえる貧しい状況にあり、工場も焼けていた。そんな中、米軍基地からゴミとして出された空き缶を、焼け残ったプレス機で整形し、進駐軍ジープをおもちゃとして製造していた。ある意味、戦後復興の始まりを告げたおもちゃだったとも言える。
塗り絵
絵柄が妙に古風だが、昭和30年代初頭のものと思われる。今上天皇は1959年にご結婚されたが、その際に巷には皇后陛下の塗り絵が出回った。私が小学生のときは仮面ライダーが流行していたが、そのとき、ライダーの触覚が1本になった「仮面」と題するパクリ塗り絵が出回っていたのを覚えている。
あんかと湯たんぽ
家のセットにあった押し入れを空かな!?…と開けてみたら、豆炭あんかとブリキ製の湯たんぽが入っていた。冬場に出して使い、夏はしまっておく…という設定のようだ。ちなみにうちではどちらも使っておらず、子供の頃はカイロとガスストーブが冬の風物詩だった。
銭湯の体重計
銭湯には今も昔も何故か体重計が置かれている。最近だとデジタル式だ。なんで体重計なんか置かれているのかと思ったら、1950年代の日本では家庭で体重を計ることなどできなかったので、銭湯に体重計を置くようになったのだそうだ。しかも初期のころは貫目表示のものもあったのだとか。
体重計といえばデパートの屋上にもあった。こちらは服を着た状態のまま体重計に乗ってコインを入れると体重がプリントされた切符みたいな紙がガシャン!と出てくるようになっていた。子供の頃はとても痩せていて、大学生になっても身長176cmなのに体重は49kgという状態だったので、体重計に乗る度に「ほっそいなぁ。もう少し太れよ。不健康な!」と周囲から言われ続けていたが、今は…体重計には乗りたくない!