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日韓万華鏡

バスに車掌さんがいた頃…

昔のバスには1000円札両替機なんていいものは付いてませんでしたから、人力でそれをやらなくてはなりませんでした。そのせいで、バスにも電車みたいに車掌さんがいたのです。


ボンネットバス
私が物心が付いたとき、バスにはまだ車掌さんはいたが、バス停にやってくるバスはみんな箱型のリアエンジン車ばかり。なので、リアルタイムではボンネットバスには乗っておらず、私が乗ったボンネットバスは動態保存車ばかり。そうした動態保存車の大半は製造が他社より遅く1968年まで続けられていた関係で、いすゞBX系のボンネットバスです。ボンネットバスの動態保存が本格的に始まったのは1980年代初頭。実際その時代いすゞ製ボンネットバスが最も多く現役で残っていたのだった。また、古いバスの保存というと、リアエンジンバスは少なく、ボンネットバスが多い。ボンネットバスの形状が箱型のリアエンジンバスに比べ、郷愁をそそることもまた事実だ。
そんなボンネットバスの中で私が実際に乗りに行ったものをここにご紹介します。
神奈川中央交通代燃車「三太号」(国鉄橋本工場ボディー)
1981年に神奈川中央交通創業60周年を記念し、山形で活躍していた1950年式トヨタ・FS型消防車のシャーシと物置にされていた1950年式日産180型バスのボディーを組み合わせて戦時中から戦後間もない時代に走っていたバスの姿を再現。更に薪ガス発生装置も新製して取り付け、戦中・終戦直後の薪バスに復元した。愛称の「三太号」はバスのシャーシとボディーが製造された当時のNHKラジオドラマ「三太物語」から命名。映画「黒い雨」では重要なシーンにこのバスが劇中車として使われ、主演の田中好子らが乗車した。また、「となりのトトロ」でもメイのお父さんの帰宅シーンでこのバスをモデルにしたボンネットバスが登場している。
さて、映画「となりのトトロ」のメイのお父さんの乗るバスの車掌さんは「発車、オーライ!」と軽いタッチで言っているが、実は、あれ、観光路線のアルバイト学生車掌の言い方。本物のバス車掌は長時間勤務し、バス停名の歓呼を続けなくてはならないため、あの発声法では1日で喉が潰れてしまう。そこで日吉ミミのような鼻をつまんだような声で「おぉらぁ〜〜い!」とやっていた。今時の声優さんにそこまで要求するのはいささか酷であろうか!?
1964年式いすゞBXD30・川崎ボディー 「伊豆の踊り子号」
元々は東海自動車が山間路線用として1964年から1969年まで使用していたもので、山間路線退役後は教習車として使用。それを川端康成の小説「伊豆の踊子」にあやかって黄八丈を着た踊り子姿の女子車掌を乗務させ、観光路線バスとして1976年に運行を開始した。3月から11月までの休日ごとに修善寺駅から河津駅までのロングラン運転を行い、最盛期は鞆鉄道から1966年式いすゞBXD30を購入し、2台体制で運行していたが、鞆鉄道から購入したものは売却、1964年製のこのバスも老朽化が進んできたため現在では運行区間を修善寺駅-昭和の森会館に短縮している。一度オーバーホールを行い、また長距離運行を再開してほしいところである。

また、伊豆の踊り子号を運行していない日は近距離のみという制約は付くが、ボンネットバスの貸切を受け付けている。

ボンネットバスブームの元祖ともいうべき車両で人気もあるためか、ブリキのおもちゃやプラモデル、ミニカーなどのグッズも販売された。
























1967年式いすゞBXD50・北村ボディー 西東京バス「夕焼け小焼け号」
長野県の伊那バスで登山バスとして運行していたボンネットバスのうち1台を西東京バスが購入、1982年から2007年まで京王八王子駅 - 陣馬高原下間をハイキングシーズンに合わせて春と秋の休日限定で運行してきた。しかし老朽化が進んだところから廃車、八王子市に寄贈され、現在は「夕焼け小焼けふれあいの里」で静態保存されている。



いすゞBXD30・川崎ボディー(1966年製)
三重交通で路線バスとして活躍したのち、1970年代後半から「お伊勢さん号」、「海女さん号」、「ぶらり松坂号」など観光路線や定期観光バスで用いられ、引退。しばらく研修センターで保存され、2003年に日本バス友の会に譲渡された。さて、このお伊勢さん号だが、近鉄宇治山田駅から伊勢神宮内宮まで運行されていて、男性の車掌が切符を切っていた。ところが、この車掌さん、耳掃除をするつもりだったのか、小指の爪だけを伸ばしていて、それだけが何故か印象に残っていた。バス友の会譲渡後はNPO法人日本バス文化保存振興委員会が所有し、土浦桜まつりや水戸梅まつりなどで無料シャトルバス運行するなど、各種バスイベントで活躍している。

いすゞTSD40型ボンネットバス・北村ボディー(1967年式)
NPO法人日本バス文化保存振興委員会の保存車両で、元々は山形交通が山間部の路線用に購入した車両で、山間部用だけになんと4WD車!それだけに乗ってみたら、床が高くて結構揺れた。また、山岳路線用や雪国用で4WDボンネットバスは岩手県北バスや岩手県交通などで導入されたが、元山形交通のこのバスは4灯式ヘッドライトの特注品。フロントフェンダーにライトケースが埋め込まれている。それ以外の4WDボンネットバスは板状のフロントフェンダーに砲弾型ヘッドライトが付いた2灯式で、自衛隊ボンネットトラックとほぼ同じ顔をしていた。観光シャトルバス時代、このバスに乗って乗り物酔いする乗客が結構いたと聞いたことがあるが、たぶん本当だろう。現在はNPO法人日本バス文化保存振興委員会が所有し、各種イベントで活躍している。
日野BH15型ボンネットバス(1964年式)
岩手県交通が岩手県南バス時代に路線用として購入したもの。見ての通りフロントグリルが独特の形で「剣道のお面」とよく言われる。東北新幹線開業後に定期観光バス「弁慶号」として活躍した。BXD30や4WDバスよりも大柄な車体がBXD50と共に都市部や主要幹線でボンネットバスが活躍していた時代を彷彿とさせる。内部は定期観光バス時代にリクライニングシートになり、観光バス然としている。最後尾には非常口があるが、ここだけシートが付いていないのが独特だ。
このバスもまた、NPO法人日本バス文化保存振興委員会所有で、元三重交通BXD30 や元山形交通TSD40 と共にイベントで活躍する。因みに私は2012年のかしてつバスイベント 2012年3月11日「ボンネットバスでバス専用道を走ろう」で乗車した。

























トヨタ ボンネットバス FB80型(1963年式)
乗用車のページで詳しく紹介したトヨタ博物館の玄関にはトヨタ製ボンネットバス1台が展示されている。トヨタFB80というと九州産業交通のものが有名だったが、他にあったかな…と尋ねてみたら、なんとインドネシアに輸出したバスを里帰りさせたものなのだそう。どうりでシートの布地がモケットではなく、チョコレート色のビニールレザーという日本ではあまり見かけないスタイルだったわけである。またこのカラーリングはカタログカラーを復元したもの。ナンバーはないが構内走行は可能とのこと。
トヨタのボンネットバス保存例はあまり多くなく、トヨタ博物館をのぞくと福山自動車時計博物館で復元工事中のもの、技研製作所所蔵の九重号、岡山県高梁市吹屋の観光巡回バス「ぼんばす」と上記の薪バス「三太号」、日本自動車博物館 トヨタDB100(元電電公社発電車)など、いすゞと比べるとあまり多くないだけに、車体のきれいなこのトヨタ博物館のボンネットバスは貴重な存在だ。