本文へスキップ

日韓万華鏡

乗用車

ヒストリックカー 、学生時代から撮ってました。カメラ持っているとき、街角で見かけるとパチリ!それに飽き足らず、パシフィコ横浜の「ノスタルジック 2デイズ」とかも行きました。そうやって集めた写真を紹介します。

ギャラリー

いつか、どこかで、街角で…
サニーカリフォルニア (1980年式B310型)
1983年に免許を取って、最初に乗った車は初代サニーカリフォルニアの後期モデル。このサニーカリフォルニアは日本で最初に登場した本格的なステーションワゴンだ。それまでのワゴン車は4ナンバーのライトバンのシャシバネをセダン用のものに変更しただけで、ボディーは営業用のバンそのものでご丁寧にも「自家用」という表示までつけてまるでダサさを強調しているかのような車だったが、このサニーカリフォルニアからレジャービークルとしてのステーションワゴンの時代がやって来たといえる。子供の頃からセダン車のトランクに大きな荷物を積んで蓋が閉まらなくなったまま走っているのを度々見かけて、危なっかしい上にカッコ悪いな。ワゴンならトランクの大きな4ドアセダンとしても利用できるのに…と思っていたので、免許を取るや早速飛びついた次第。
トヨタクラウンMS41(1966年式)
横浜。山手の街角を歩いていたら、見つけた2代目クラウン。初代は勿論有名な観音開きクラウンだ。フォード・ファルコンをベースにしたデザインで初代の観音開きに比べると低く長くスマートになっている。私の幼年時代にはタクシーやパトカーとして最もよく見かけたフォードアセダンだった。中でもミントグリーンのボディーでルーフがブラックグリーンにに塗装されたグリーンキャブタクシーのカラーはこのクラウンのスタイルに大変似合っていて、カッコよかったのを覚えている。
この2代目クラウンは特撮でも度々見かけた。人造人間キカイダーのダークのクルマとか、ジャイアントロボのユニコーン日本支部のクルマとか…。
 
トヨタスポーツ2000
トヨタとヤマハ発動機の共同開発で1967年から1970年まで製造された伝説のスポーツカー。当時の価格は238万円で現在の貨幣価値で2000万円ぐらいに相当する大変高価な車でたくさん市場に出回るということもなかった。だから価格の安いヨタハチことトヨタスポーツ800はしばしば目にすることが出来るのにこのトヨタスポーツ2000はまずお目にかかれない。横浜市内を散策中にそんな珍車を見つけてしまったものだから興奮して撮ってしまったという次第。
ダットサンブルーバード312型
1963年式の初代ブルーバード後期形。この初代ブルーバードはダットサン210形セダンをモデルチェンジしたもの。エンジンは1950年代に日産自動車がノックダウン生産していた英国車「オースチンA50ケンブリッジ」のものを小型化したもので、車体のデザインもどことなく昔のダットサンよりもオースチンのイメージを引きずっている印象を受ける。歩道橋を渡っていたとき、その古い車がたまたま走って来たので歩道橋の上から撮ってみた。


パシフィコ横浜の旧車ショー「ノスタルジック2デイズ」に行ってみた!
街で見かけたらパチリ!では昭和レトロな車にはなかなか出逢えるものではない。そこで、何年か前にパシフィコ横浜で開催されるクラシックカーのショーを訪れてみた。
ダットサンブルーバードエステートワゴン
上の312型ブルーバードのワゴンバージョン。ダットサンライトバンと変わり映えしないデザインだが、草創期のステーションワゴンはライトバンとボディーが共通でシャシバネだけセダンと同じというパターンが多く、RVとして使われることより営業用のクルマとして扱われることが多かった。写真のものは少しでもスタイリッシュにとタイヤがリボンタイヤに交換されている。
初代日産セドリック(30系後期形)
初代日産セドリックは前期型の「縦目セド」と後期形「横目セド」に分かれていて、これは「横目セド」。オースチンの血をひくイギリス系のデザインとアメリカナイズされたスタイルの融合されたスタイリッシュさが目を引く。タクシーバージョンでは黄色のボディーにスカイブルーの帯をしめた「構内タクシー」色に塗られたものがカッコよかった!
トヨタクラウンMS41(1966年式)
上のクラウンと同じ型のクルマ。MS40系はラジエーターグリルとウインカーの形状で前期・中期・後期に分類できる。ラジエーターグリルがTOYOTAのTの字になっているが、初期タイプはTの下の棒に当たる部分が細く、ウインカーがバンパーの上に来る。中期形はウインカーの位置は変わらず、ラジエーターグリルのTの字の下部が幅広。後期形はTの字の下部が幅広でウインカーがフロントバンパー埋め込み式。
ダットサン1000 211型セダン(1959年式)
初代日産ブルーバードの原型となった車で1957年から1959年にかけて製造された。その前のモデルがダットサン乗用車110型でこちらは排気量が860ccで、1955年から1957年にかけて製造された。そのダットサン110型をパワーアップして排気量1000ccのエンジンを搭載したものがダットサン1000。初代トヨペットコロナと共に昭和30年代「神風タクシー」として活躍した。
ダットサンフェアレディ―S310型
フェアレディ―というとアメリカでZcarと呼ばれた流線形のスポーツカーを連想してしまうが、これはそのフェアレディーZの一世代前のもの。1962年から1970年にかけて製造された小粋な2シーターのオープンカーだが、シャーシそのものはダットラことダットサン・トラックの流用なのだとか。なお、フェアレディーの初代は1959年から1962年にかけて製造されたずんぐりしたオープンカーだった。
いすゞヒルマンミンクスPH100型
1956年から1964年にかけていすゞ自動車が英国車「ヒルマン・ミンクスMkVIII」をノックダウン生産したものがこのヒルマンミンクスだ。1963年に登場したいすゞべレットはこのヒルマンミンクスの技術をベースに開発された。ある意味べレットの源流ともいえるクルマだが、100型は2代目。初代ヒルマンミンクスは1953年から1956年にかけて製造されたPH10型である。
スバル360
1958年から1970年までの延べ12年間にわたり約39万2千台が製造された昭和30〜40年代を代表する軽自動車である。通称テントウムシ。メーカーの富士重工は戦時中にゼロ戦を作っていた中島飛行機で、飛行機製造技術を応用した車重385kgの軽量モノコックボディーとパランパラパラパラというチープな音を立てるツーストローク2気筒のエンジンが特徴的だった。
トヨタパブリカ
ヴィッツ、その前のスターレットへと続くトヨタのコンパクトカーで写真のものは1969年から1978年にかけて製造された2代目パブリカ。このツードアセダンのほかライトバンやピックアップトラックもラインナップされていた。またダイハツ工業との提携により、この写真のボディーと同じでエンジンだけコンパーノ用1000ccエンジンを搭載したダイハツ・コンソルテが姉妹車となっている。
トヨタ・スポーツ800
通称「ヨタハチ」。1965年から1969年にかけて製造されたトヨタの小型スポーツカーである。超軽量空力ボディーにパブリカ用の2気筒エンジンの排気量をUPし、790ccとしたエンジンを搭載し、低燃費と操縦性の良さでライバルのホンダ・S600を凌駕していた。なお、アルミ製のルーフは脱着式で取り外して2シーターオープンカーにすることもできた。