このページでは愛知県長久手市のトヨタ博物館に保存・展示されているヒストリックカーを紹介します。続いて1966年から1969年までのクルマたちです。
トヨタ カローラ KE10型 (1966年)現在も続くカローラシリーズの初代がこれ。1966年から1970年まで製造され、元祖コンパクトカーのパブリカと中級乗用車のコロナの中間に位置する車種として企画された。コロナがブルーバードと覇を競ったようにこカローラもサニーという強敵がいた。当初は2ドアセダンのみだったが翌1967年に4ドアセダンとバンが追加された。カローラバンは今のトヨタプロボックスの原型ともいえる車種で2ドア+テールゲートというスタイルでデビューした。初代カローラは1000ccでデビューするはずだったが、サニーも1000ccでデビューすることが分かったとたんに排気量を1100ccに変更、「プラス100ccの余裕」と大いに宣伝したのだった。 |
ダットサン サニー B10型 (1966年)カローラのライバルである日産サニーはカローラと同じく1966年に登場した。ドイツの大衆車「オペルカデット」の影響を受けた車で、軽量モノコックボディーで、大型プレス材を有効に使い、部品点数を減らし、コスト低減を図っていた。当初は1000ccの2ドアセダン一種類だったが、その後、4ドアセダン、2ドアクーペ、2ドアライトバン、ピックアップトラック…と順次車種を増やしていった。このサニーにぶつけてトヨタカローラが1100ccででデビューしたのが悔しかったのか、モデルチェンジして2代目サニーになったとき、排気量を1200ccに変更、CMで「隣の車が小さくみえまぁ〜〜す!」…と対抗意識丸出しのCMを流したのだった。 |
いすゞ ベレット 1600GT PR90型 (1966年)かつていすゞには1962年に発売を開始した自社開発の中型セダン「ベレル」が存在していた。しかし、デザインがダサい、振動や騒音が大きい、雨漏りするなど評判が悪く、1967年に生産中止。そのベレルより下のランクの小型乗用車として1963年から1973年まで製造されたのがこのいすゞべレットである。車種は2ドアセダン、4ドアセダンのほか、日本最初のグランツーリスモとなった、2ドアクーペ「GT」があり、ベレGの愛称で親しまれた。このベレG,荒井由実時代の松任谷由実のアルバム「COBALT HOUR」のアルバムタイトル曲のなかにも歌いこまれている。 |
マツダ ファミリア SSA型 (1966年・日本)ファミリアは2003年までマツダが出していたファミリーカーのブランド。写真のファミリアは初代のもので1963年から1968年まで生産された。車種としては4ドアセダン、2ドアセダン、クーペ、ワゴン、バン、ピックアップトラックといったバリエーションがあった。前面のスモールランプとウインカーの位置がちょっとユニークで、一見4灯式に見えるヘッドライトの内側2灯がスモールランプ兼ウインカーで本物のヘッドライトは外側2灯である。ライバルのパブリカ、サニー、コンパーノ。パブリカが意外にも苦戦しているという情報を知り、個人ユーザーより法人向けを優先した結果、コンパーノ同様バンから順次発売することとなった。 |
ニッサン シルビア CSP311型 (1966年)シルビアは日産自動車が1965年から2002年まで製造していた2ドアクーペ。トヨタ博物館に展示されているこのシルビアはその初代。1965年から1968年にかけて製造されていた。2代目以降のシルビアは後部座席が出来、4人乗りないし5人乗りだったが、この初代シルビアは2シーターの2人乗り。優美なデザインだが、オープンカーのフェアレディーの陰に隠れて今一つヒットせず。554台で生産を終了した。市場に出回った台数が少ないため、クラッシックカーショーなどでもめったにお目にかかれない珍車の一つである。また、第3京浜開通時の初代高速機動隊パトカーがこのシルビアを白黒塗りにしたもので、ヨネザワ・ダイヤペットのミニカーも販売されていた。 |
プリンス スカイライン "2000GT-B" S54型 (1967年)プリンススカイラインは立川飛行機の後身であるプリンス自工が1957年から1966年まで製造。プリンス自工が日産自動車に吸収されてからは日産スカイラインとして生産が続けられている。初代はグロリアの弟分で小柄な'50年代アメ車という感じだったが、こちらは2代目。この次の3代目が有名なハコスカ、その次がケンメリ、ジャパン、ニューマンと続く。このプリンススカイライン(吸収合併以降は日産プリンススカイライン)の車種には4ドアセダンと5ドアステーションワゴン、ライトバンがあり、ライトバンは当初はプリンススカイウェイを名乗っていた。メインのセダンは4ドアながら、タクシーとして採用されることは少なく、個人ユーザー向けがほとんどだった。 |
スバル 1000 (1967年)富士重工が軽自動車であるテントウムシことスバル360から一歩進んでカローラやサニーと同じ土俵である小型車市場に乗り込むべく1966年から1969年にかけて製造したクルマがこのスバル1000.コロナクラスの広い室内を確保するため、日本で初めてFF方式を採用。その弱点である急坂登坂が苦手な点を解消すべく、ジャッキなどの工具やスペアタイヤもエンジンルームに持って来て、エクゾーストパイプを運転席側サイドシルに配置するなど、フロントに車重の6割を集中させる独創的なスタイルとなった。車種は4ドアと2ドアのセダンとライトバンだが、海外輸出専用モデルとしてステーションワゴンが存在し、これがのちにレオーネツーリングワゴンへと発展していく、 |
スズキ フロンテ360 LC10型 (1967年)スズキフロンテは1962年からアルトに統合される1989年まで製造されたスズキ自動車の軽自動車セダンである。初代は1962年から1967年まで製造されたスズライトフロンテで軽のライトバンを乗用車にアレンジしたものだった。トヨタ博物館に収蔵されているものは1967年から1970年にかけて製造された2代目。車種は2ドアセダン1種類のみ。駆動方式はリアエンジン・リアドライブ(RR)でギアはフロアシフトとなっている。1968年にはスポーツセダンのフロンテSSが登場。高速道路の発達に合わせ、大人4人を乗せ、時速100キロで連続走行できることがセールスポイントだった。 |
トヨタ 1600GT RT55型 (1967年)バリカンコロナの2ドアハードトップRT50型をバージョンアップしたスポーツタイプのツーリングカーで車体の色も通常のコロナハ―ドトップにはない黄色がイメージカラーとして採用された。俗称コロナGT(コロG)。車体はコロナハ―ドトップだが、エンジンは特製の9R型DOHCエンジン、フロントシートとミッションはトヨタ2000GTの物を流用、最高時速175キロで、トヨタ2000GTの弟分の本格的高性能ツーリングカーとなった。日本国内のツーリングカーレースではいすゞべレット、ブルーバードSSS、フェアレディー2000、スカイライン・2000GTBにも勝利している。 |
トヨタ センチュリー VG20型 (1967年)1967年にクラウンエイトを発展させる形で登場し、現在も製造が続けられている最高級セダンで、1997年4月にモデルチェンジをし、現行センチュリーは2代目ではあるものの、そのスタイルは初代センチュリーとほとんど変わらないため、走るシーラカンスと揶揄する向きもある。なお、「センチュリー」の名前は豊田佐吉の生誕100年や明治100年に因んだもの。3リッターの大型エンジンで1.7トンを越える重く重いボディーを持ちながら、最高時速170キロまで出す高性能車。天皇、皇后両陛下の日常公務用車両や官公庁の公用車や自治体首長の専用車等に採用されているが、自治体の首長用のものは昨今、大排気量の高価な専用車は無駄遣いという市民からの批判からハイブリッド車や大型ワンボックスに買い替えるケースが出てきている。 |
トヨタ 2000GT MF10型 (1968年)1967年から1970年までに試作車を含め、337台しか生産されなかった幻の名車。本サイトの乗用車のページの始めで街で見た2000GTを紹介したが、ここトヨタ博物館にも1台展示されていた。販売価格は238万円(当時)で製造原価はほぼ手造りで作っていたため、販売価格を大きく上回り、作れば作るほど赤字だったとか。ビンテージゆえに現在、オークション等では1億円以上で取引されているとか。なおヘッドライトだが、フロントグリルの左右にあるものではない。それは固定式フォグランプで本物のヘッドライトはリトラクタブル・ヘッドライトで普段はボンネットに格納され、スマートなロングノーズを形成しているところもポイントの一つ。 |
トヨタ カローラ スプリンター KE15型 (1968年)トヨタスプリンターはカローラのバリエーションという形で1968年に登場、2002年のカローラセダン、ワゴンのフルモデルチェンジに伴い姿を消した。博物館で展示されているカローラスプリンターKE15型はその初代のスプリンターである。上記のカローラが2ドアセダンなのに対し、こちらはファストバックスタイルの2ドアクーペでよりスポーティーな印象を受ける。1100ccの小型車エンジンで最高速度160km/h。当時の発売価格は58万7千円と格安で、安くスポーツカーに乗りたいという若者に人気が出た。因みにカローラセダンは最高時速が5km/h遅い。その後、スプリンターのシリーズからは1972年にカローラレビンの姉妹車としてスプリンター・トレノが1発売されている。 |
トヨペット コロナマークII RT62型 (1968年)2000ccクラスのクラウンと1600ccクラスのコロナの中間のモデルを作ろう!コロナよりちょっと豪華。クラウンより安い…。上級車志向の強いコロナオーナーのそんな要望があったため、バリカンコロナのモデルチェンジ用に開発していたT60系をちょっと豪華にして販売したというのがこのコロナマークU。デザインはバリカンコロナのイメージを残してちょっとだけ車体が大きくなった。車種は4ドアセダン、2ドアハードトップ、ステーションワゴン、ライトバン、ピックアップトラック、エンジンはコロナと同じ1600ccと1900ccがあり、豊富なバリエーションの中から選べることもあって、月間登録2万台のベストセラーカーの座に輝いた。 |
ホンダ N360型 (1969年・日本)軽自動車業界の馬力競争の火付け役となった通称Nコロ。室内を広くするため、横置きエンジンのFF(前輪駆動)を採用し、最高速度は軽ながら115km115km/hを誇った。そのFFで速いという特徴があだとなって高速道路で走行中スピンする事故が相次ぎ、欠陥車騒動が起こってしまった。しかし、調査の結果、進路変更などで急ハンドルを切った状態でアクセルを急に戻すことでフロントにエンジンブレーキがかかり旋回するいわゆるタックインという現象だった。この特性を良く分かっている人はこれを利用してドリフト走行をするが、知識の無い人がやるとスピンでガードレールに衝突したり、反対車線に飛び出したりと危険なことになるのである。この調査報告で欠陥車騒動は運転者のミスということになり決着が付いたのだった。 |
マツダ キャロル (1969年)マツダキャロルは1962年から1970年に発売され、一度姿を消し、1989年から復活したマツダの軽自動車である。このクルマはその初代で1962年から1970年にかけて生産されたもの。マツダ・R360クーペが後部座席が荷物置き場か幼児席にしか使えないほど狭く、事実上2シーターで評判が良くなかったため、4人の大人が無理をせず乗れ、ボンネット、キャビン、後部エンジンルームが分離した3ボックススタイルとした点が特徴となっている。また、リアエンジン車で前面にラジエーターグリルを置けないため、側面にルーバーを設け、エンジン駆動の強制冷却ファンで側面からエンジンを冷却する風を取り込む点やリアウインドが垂直に切り立ったクリフカットの後部ガラスがこのクルマを印象深いものにしている。 |
マツダ コスモスポーツ L10B型 (1969年)マツダコスモは1967年から1996年にかけてマツダが製造していたクルマで、トヨタ博物館に展示されているものはその初代。ウルトラマンをリアルタイムで見ていた人なら「帰ってきたウルトラマン」のMATのクルマだぁ〜!と言いたくなるに違いない。この初代マツダコスモはSF特撮ドラマの劇中車に使われてしまうような未来的なデザインであるだけでなく、多気筒のロータリーエンジンの実用化を実現した世界最初のクルマある。ロータリーエンジン搭載車自体は1964年にアウディーが作っているものの実験的な存在でしかなく、そのエンジンは単気筒だった。ドイツ・ラインラント=プファルツ州ニュルブルクリンクで行われた84時間耐久レースでポルシェ、ランチアに次ぐ総合4位を獲得している。 |