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日韓万華鏡

乗用車5

このページでは愛知県長久手市のトヨタ博物館に保存・展示されているヒストリックカーを紹介します。最後は1970年代のクルマたちです。

ギャラリー

1970年代のクルマ
オイルショックや過激派の内ゲバ、あさま山荘事件、ベトナム戦争など陰鬱な時代だった一方で全国の子供たちに絶大な人気を誇った「8時だョ!全員集合」が放送されたり、ザ・ベストテンの登場、フォークソングやアイドル歌謡のヒットなどテレビが面白かった時代でした。そんな時代のクルマたちは走り屋が喜びそうなツーリングカーが目白押し。1970年代後半にはスーパーブームも巻き起こり、カメラを持った少年たちは鉄道ヲタクのブルートレイン派とエンスーのスーパーカー派に分かれて好みの車両に向けてシャッターを切っていました
























   

ホンダ
シビックCVCC 1200GL 3Door(1975年・日本) 

ホンダシビックは1972年に開発され、日本では2010年に販売が終了したものの欧米では販売が続けられている小型車のシリーズである。
トヨタ博物館で展示されているものは1972年から1979年に発売されていた初代。エンジンルームとトランクルームを含んだキャビンからなる2ボックススタイルの2ドアコンパクトカーで、1972年7月の発売当初はモーリス・ミニのような2ドアセダンのみだったが、その1ヵ月後に3ドアハッチバック、翌年4ドアセダン、1974年に5ドアライトバンが追加された。オイルショックや公害問題の影響で排ガス規制が強まった時代のクルマらしく、1973年には低公害エンジンであるCVCCを搭載した1.5Lモデルが導入されている。軽自動車より一回り大きいだけの小さな車だったので、昔このクルマのことを「チビック」と呼んでいた。
いすゞ 117クーペ PA90型 (1970年)
いすゞ自動車が1968年から1981年まで製造していた4人乗り2ドアクーペである。デザインはロータスエスプリやデロリアン、韓国の現代ポニーも担当したイタリアのジョルジェット・ジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro)。1972年までに2458台しか生産されなかった初期型は極端に細いピラーなど機械化できないパーツが多かったところから、なんと手作り!1973年から1976年までに生産された分はGMとの提携で資金と技術の協力が得られたところから、機械によるプレス成型が出来るようになり、量産化を実現。1977年から最後の1981年まではマイナーチェンジでヘッドライトが角目に。そして後継モデルのピアッツァの登場で生産終了となった。
ニッサン フェアレディ Z432 (1970年)
フェアレディーは前年までのオープンカーから一転、3ドアファストバックのジャガーやポルシェを思わせるようなスポーツカーに変貌した。アメリカ等ではZ(ズィー)カーと呼ばれるフェアレディーZ.そのネーミングはブロードウェーミュージカル「マイ・フェアレディー」に感銘を受けた当時の川又社長がそのミュージカルから貴婦人を意味するフェアレディーを撮り、Zは究極という意味から付けられたのだとか。。2人乗りのほか、後部にも2人席がある2by2があった。企画者は米国日産の片山豊社長で、流麗なロングノーズはジャガーEタイプのようなクルマをという要望を出した結果だという。なお、このクルマのミッドナイトブルーのものが湾岸ミッドナイトの悪魔のZである。
 
トヨタ カリーナ TA12型 (1970)
「足のいいヤツ」「やったね、千葉ちゃん!」という千葉真一のCMで印象深かったカリーナ。元々はカローラよりも高級で、コロナよりも廉価な男性的なクルマとして企画され、1970年から2001年まで製造された。2001年に後継モデルでコロナプレミオの兄弟車「アリオン」にバトンタッチし製造中止となった。トヨタ博物館に展示されているのは1970年から1977年まで製造された初代。内側と外側でデザインを変えた丸型4灯式ヘッドライトが印象的で車体のサイズはコロナとほぼ同じ。当初は2ドアと4ドアのセダンを発売。後に2ドアハードトップと5ドアライトバンが追加された。1975年にはエンジンが低公害の19R型エンジンが搭載されるようになった。
トヨタ セリカ TA22型 (1970年)
1970年から2006年まで製造されたトヨタセリカ。写真のものは1970年から1977年にかけて製造されていた「ダルマセリカ」。真正面から見たとき、スラントノーズのバンパー部分がダルマの髭みたいで、全体的プロポーションがふくよかなところから、そんなあだ名が付いたようだ。シャーシはカリーナと共通。当初は2ドアクーペ1種類だった。アメリカのフォードマスタングに倣って好みのエンジン、内装、変速機を選べるようにしてあったが、一番人気はそのチョイスの対象から外されていた最上級モデルの1600GTだったが、1973年には2000GTも登場した。博物館展示のものは黄色だが、本来のイメージカラーはメタリックのスカイブルーだった。
三菱 コルト ギャランGTO−MR型 (1971年)
三菱が1970年から1977年にかけて製造していたスポーティーな2ドアハードトップクーペ。1970年代のアメリカで流行した大排気量の大型スポーツカーの一種である「マッスルカー」のデザインを取り入れたトランクリッドをはね上げたダックテールや8連メーター、ハンドルのデザインなど精悍なスタイルが特色。GTOは「グレート・ティーチャー・オニズカ」などではなくフェラーリ250GTOに由来し、イタリア語で「GTレース用ホモロゲーションモデル」を意味する。ギャランGTOには気取ったク―ぺのM1型、ややスポーティーなM2型、そしてスポーツモデルのMR型の3グレードがあったが、MR型は排ガス規制で1973年に製造中止となってしまった。
トヨタ セリカ リフトバック (1973年)
ダルマセリカは当初2ドアクーペ1種類だったが、1973年から3ドアリフトバックが登場した。正確には「ダルマセリカ」と呼ばれているのは上の2ドアクーペのみでこちらはセリカLBと呼ばれる。
個人的にはこちらの方がスタイリッシュでカッコいいと思う。ダルマセリカやこのセリカLBもまた走り屋や暴走族に愛されたクルマの一つで、エンジン換装、ローダウン(シャコタン)、チンスポイラー装着、丸目を角目に付け替え…といった改造をされているクリマも以前よく見かけた。セリカLBは後部のバナナテールとスリット状のテールライトが独特のデザインで人気があった。
いすゞ ベレット ジェミニ PF50型 (1975年)
1974年から2000年まで製造されたいすゞ自動車の乗用車でこれは1974年から1987年にかけて製造された初代。ベレットの後継モデルという位置づけだったため、1975年まではベレットジェミニと名乗っていた。車種は4ドアセダンと2ドアクーペの2種類。いすゞの提携先であるGMがグローバルカーとして売り出していたオペルカデットをベースに開発された。グローバルカーだけに世界各地に派生車種があり、オリジナルのオペルカデット(ドイツ)、シボレー・シェベット(アメリカ、ブラジル)、セハン・メプシ(韓国)などのほか、日本のジェミニがオーストラリアに輸出され、ホールデン・ジェミナイとして販売された。当初は丸目2灯だったが1977年から角目となった。1982年には第二次オイルショックがあり、その際に世界初の電子制御式ディーゼルエンジン搭載車が登場、「いすゞジェミニディーゼル」はディーゼルエンジン乗用車の代表格となった。
トヨペット コロナ RT102型 (1976年)
1973年から1978年にかけて生産された5代目コロナである。1973年の登場時には4ドアセダン、2ドアハードトップ、5ドアライトバンの3車種が発売された。その後すぐに2ドアセダンも追加となったが、日本ではほとんど売れず、ほぼアメリカ向けとなった。4ドアセダンは地方の小型タクシー用として人気があったのか1973年12月にはタクシー専用として1600スタンダード、1600デラックスが加わり、メーカーオプションとして1800デラックスタクシー仕様も用意された。この5代目コロナはまたの名を「安全コロナ」といい、OKモニターと称する天井に付いたモニターに異常が表示され、運転席で確認できるようになっており、ブレーキパッドの中にワイヤーを仕込み、ブレーキパッドが基準値以下になるとパッド内のワイヤーが切れて、パッド交換時期をであることを示すといった項目も用意されていた。