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日韓万華鏡

食堂車1
昼間特急で食堂車連結列車というと近鉄の観光特急「しまかぜ」ぐらいしかなくなってしまいましたが、かつては中長距離特急の華ともいえる存在でした。

現在では乗り物の中で食事というとLCCの有料のものやビジネスクラスの豪華なお弁当や空弁などを含めた機内食かフェリーのレストランということになるでしょうか。
食堂車と言うとJRの場合、ごく週数の富裕層を顧客とした豪華ツアー列車や「東北エモーション」のような団体客向けのレストラントレインばかりになってしまいましたが、かつての日本国有鉄道(国鉄)では中長距離特急の多くの列車に食堂車が連結されており、さらに時代をさかのぼれば、急行列車にもビュッフェや食堂車が連結されており、車窓の景色を楽しむ晩餐の場となっておりました。
そんなかつての栄華を極めた在りし日の食堂車の姿を振り返ってみましょう。

食堂車の外観

客 車
客車の食堂は1899年に早くも山陽鉄道に登場している。現在とは異なり木造客車でなおかつ、中央に大きな食卓を置いてその両側に左右4人ずつ座るものだった。
利用できるのは1等客、つまりJRでいえばグランクラスの乗客だが、当時の1等客は庶民でも頑張れば自分へのご褒美で乗れるような代物ではなく、ごく少数の選ばれた富裕層だけのものだった。側廊下付き厨房とテーブル席で構成された食堂車のレイアウトが登場するのは1906年に官設鉄道が作った全室食堂車から。
このスタイルが平成時代まで長く続くことになる。
スシ28 301
かつて大阪・交通科学博物館で展示され、同館へ移管後は京都鉄道博物館に移管された保存車両だ。京都鉄道博物館のグランドオープンは2016年4月29日。交通科学博物館に展示される前はスハシ38 102という三等車との合造食堂車だった。元々は1933年〜1935年に合計15両製造されたスロシ38000という北海道と九州で主に活躍していた二等合造食堂車だった。博物館でレストランとして使用するため1961年の廃車後に全室食堂車に改造された。3軸ボギー台車を持つ戦前の食堂車で現在も保存されているのはこの車両ただ1両という貴重品。
ナシ20 24
左のスシ28 301と同様交通科学博物館で展示され、同館へ移管後は京都鉄道博物館に移管された保存車両。客車特急食堂車のスタイルはこのナシ20で完成された。電気冷蔵庫・電気温水器を備えたオール電化キッチンと片持式4人掛けテーブルを10卓備えたスタイルは1958年から1970年にかけて日本車両と日立製作所で36両製造されたこのナシ20で確立された。それ以前の食堂車は石炭レンジと氷冷蔵庫の旧態依然としたもので、SL急行列車が活躍していたころの食堂車スタッフの昔話には主に見習いの調理人が石炭レンジ用の石炭をSLの機関士にもらいに行く話が出てきたりする。

特急電車
サシ181-43
電車特急食堂車のプロトタイプが登場するのは1960年にビジネス特急こだまに全室食堂車が導入されるときのこと。その最初の食堂車がサシ151で151系電車がパワーアップ改造されて181系になるときサシ151がサシ181 0番台となった。1962年に上越線に161系特急電車が導入されるときサシ151と同型の食堂車を作り、それにサシ161という形式を付与したが、161系がパワーアップ改造で181系に集約されるときサシ161はサシ181 40番台となった。サシ181-43は元々増備車サシ161-3として発注されたが、1964年の落成時に形式称号の改正があって、161系が全て181系40番台車に、サシ161-1,2がサシ181-41,42となったところからその続き番号で43となったという経緯を持つ車両である。台車も外観も旧サシ151とほぼ同じで、貴重な特急食堂車黎明期の姿を伝える車両の一つだったが、残念ながら1両も保存されなかった。
サシ481-16
サシ481は基本的構造はサシ181と同じだが、交直流電車の食堂車で、同じ編成の電動車が交流機器類を搭載し、床が125mm高いのに合わせ、床がサシ181より高い点と台車がサシ181 0番台、40番台に使用されていたTR58ではなく、サシ181 100番台と同じ改良型のTR69担っている点、回送運転台が前後両方(サシ181は片側)となっている点に特色がある。1969年から1974年までに改造で編入された車両も含めて79両が製造された。1〜14は初期型で窓にカーテンが付く。15~39は中期形でカーテンがベネシアンブラインドといってペアガラスの間にブラインドをはさみこんだスタイルに変更され、40〜76、81~83はクーラーがきのこ型のAU12 から箱型のAU13に変更されている。なお、サシ481と同じデザインで碓氷峠越え用の車両・489系の食堂車として製造されたサシ489も存在する。

特急気動車
キサシ180-11
特急気動車食堂車として製造された形式はキサシ80、キシ80、キサシ180の3種類。
キサシ180は1960年にはつかり用キハ81用食堂車として製造された。キサシ80はキハ81用に製造された80系食堂車で大きな水タンクと発電機を床下に搭載していた。北海道に転属の際に動力用エンジンを追加し、キシ80となった。キシ80はキハ82用の食堂車で当初から動力用ディーゼルエンジンを積んでいたが、それだと水タンクのスペースが確保できないため、食堂車のテーブルを2卓減らして32席とし、テーブルを減らした分、車端に水タンクスペースを確保していた特急気動車食堂車。キサシ180はキハ181用の食堂車だが、キハ181がパワーがあったため、無動力となって電車食堂車とほぼ同じ構造だった。但し、室内インテリアは客車食堂車のオシ14/オシ24を低屋根化したような雰囲気だった。
急行ビュッフェ
サハシ165-2
急行形電車ビュッフェのプロトタイプは1961年に登場した153系急行形電車のビュッフェである。客席は1/3ぐらいであとの2/3が冷房付きビュッフェ。片側は車窓を見ながら食事が出来るカウンターで反対側はカウンター付きキッチン。そのキッチンの半分に寿司コーナーが設けられていた。しかし、寿司職人の補充が追いつかないところから、中央本線や上越線にビュッフェ連結急行を運行することになったときは寿司コーナーではなくそばコーナーに切り替えた。東海道本線用だったサハシ153のうち5両は中央本線転属の際にそばビュッフェ付きのサハシ165 50番台に改造されている。
サハシ455-21
1962年に左のサハシ165がデビューしたとき、同時に交直流形急行電車にもビュッフェサハシ451が導入された。北陸本線用の60Hz車471系は寿司コーナーの代りに設置されたのが「うどん」コーナーだったが、東北本線用の50Hz車451系では165系と同様の「そば」コーナーとなった。その2年後の1964年には改良型のサハシ455が登場したが、このサハシ455、車掌を見ながら食事のできるカウンターに新幹線0系ビュッフェ35形と同様のFRP製回転椅子を追加していた。
東北本線のそばビュッフェは特急がどんどん増発された1973年に営業を休止し、それ以降は車内販売基地として使われていた。