電車や気動車でボックス席のある車両…それは急行形か近郊形です。両端でデッキがあって客室が全部ボックス席で旧型客車の普通車のような作りならそれは急行形。車体の壁と平行になった長椅子(ロングシート)が混在していたら近郊形です。
クハ153 500番台 低運転台車のクハ153 0番台には運転席で立ち上がると前方の信号機が見難く、衝突事故があったとき運転席が危ないという欠点があった。実際に1959年には衝突事故も起こしている。 更に当時の大阪鉄道管理局の内部規定には「注意信号現示の際は運転席から立ち上がって信号歓呼する」なんてルールがあったので、立つと信号が見難くなる運転席は当然運転士の間で評判はよろしくない。 そこで1961年にリクライニングシート付き2等車と寿司ビュッフェを作る際に一緒に製造された制御車から運転席位置を30cmかさ上げしたのだった。 それがこのクハ153 500番台である。 このデザインは評判がよく、のちの他の急行電車だけでなく鈍行用の近郊形電車もこの顔つきで製造されている。 |
クハ165-11962年に製造された165系の制御車。写真は1978年頃上野駅で撮影撮影した急行佐渡。特急ときの補完列車だが1960年代はヘッドマークを掲げ、ビュッフェも営業していたがビュッフェは1973年に廃止。ビュッフェ営業自体は1976年に中央本線急行・アルプス号のビュッフェ廃止を最後に全廃となった。ヘッドマークの方も1970年代にいつの間にか姿を消してしまった。 |
1996年3月16日朝の名古屋駅停車中の最後の大垣夜行375M最晩年の165系は一部の車両は老朽化の進んだ153系の置換えなどで大垣区や神領区などに転属していた。大垣夜行や急行東海もかつては153系で運行されていたが、徐々に165系に置き換えられ、1983年には完全に153系が淘汰されていた。最晩年の165系はヘッドライトが左の写真のような大型ヘッドライトからシールドビームに交換されていた。 |
クハ167-5修学旅行用電車そのものは関東地方の中学生が京都へ、近畿地方の中学生が東京に修学旅行に行くための足として1959年に153系(先頭車はクハ153-0番台)をベースに製造された。外見上は一番上の写真にある153系を低屋根化した感じで、色は東京と京阪神の中学校から公募、大阪の放出(はなてん)中学校の提案が採用され、左のような朱色と黄色の塗り分けとなった。品川から京都へ向かう列車は関東地方の中学生を乗せた「ひので号」、神戸・大阪・京都から品川に向かう列車は「きぼう号」と命名され、いずれも行きは昼行列車、帰りは夜行列車のダイヤで運行された。 1971年には関東地方の中学生の修学旅行は新幹線利用に変更され、ひので号155系はお役御免となり、普通の団体輸送や臨時急行列車へと転用された。 しかし、私は1974年にひので号に乗ったことがある。なんと小学校修学旅行の団体列車として横浜から日光まで運転されたのだった。 このひので号、見た目はたんなる色違いの急行列車にしか見えなかったが、乗ってびっくり。まずボックス席が後のドアから入ってデッキのドアを開けると左側に4人用のボックスシートがズラリ、右側に6人用のボックスシートがズラリ。つまり5列シートなのだ。普通なら4列なのに。それだけではない。網棚は153系なら壁と平行になが〜〜く作られているが、この155系は壁と直角でなんと座席の真上に網棚がある。 その上、折り畳み式のテーブルもある。 私たち悪ガキ連はこのテーブルをトランプやはがき大のパチンコ台などのミニゲームで遊ぶためのゲーム台としてしっかり使わせてもらった。 この修学旅行用電車は好評で名古屋地区と下関地区にも導入された。 名古屋地区のものは東京と同様に153系低運転台車をベースにしたが、座席は153系と同じ一般的な4人掛けボックス席の急行電車の座席を使用。塗色はひので号と同じ朱色と黄色の塗り分けとなった。 大垣から品川までの「こまどり号」、中京地区と山陽地区を結ぶ「わかあゆ」として運行された。 一方、山口・広島両県の修学旅行用電車は左の写真の167系電車。 153系ではなく165系がベースになっており、小学生向けには下関-広島間の「なかよし」、中学生向けには下関-京都間の「友情」、高校生向けには下関-品川間の「わこうど」が運行された。 |
クハ455-37上野駅に現れた1103M急行 まつしま3号。クモハ・モハユニットを数多く製造した急行形電車は複数の急行列車を併結したものが運行されており、この上野-仙台間の急行「まつしま3号」は上野-会津若松間の急行「ばんだい3号」を併結、郡山で切り離していた。 |
クハ455-26博多駅で1980年8月に撮影したもの。この列車は回送列車だが、この頃の博多駅には「かいもん」(博多-西鹿児島)、ぎんなん(博多―熊本)、ゆのか(博多-大分)等の電車急行が発着していた。 |
急行形電車の室内 |
サハ164室内写真は中央線急行「アルプス」向けに製造された売店車の客席部分だが、急行列車の普通車は直流電車、交直流電車、気動車とも同じスタイルである。ボックス席の座席幅は1095mm。近郊形電車や修学旅行等電車の4人ボックス席の座席幅は925mm。急行のボックス席はちょっとだけゆとりがあった。 |
サロ165-49室内急行グリーン車の内装。リクライニングシートは特急用のものと変わりないが、窓が2個ユニットの大型バランサー付き下降窓になっていた。なお、リクライニングシートではないグリーン車サロ153はこのタイプのグリーン車の登場で普通列車用に格下げされていった。 |
サハシ165-2室内急行ビュッフェは1972年に岡山-下関の寿司ビュッフェ廃止、1973年に山陽、九州、東北のそばビュッフェ廃止、1976年に最後に残った中央本線アルプス号のビュッフェが廃止となり。私が上野駅のホームで列車を撮影していたころは急行ビュッフェはいずれも非営業となっていた。 |