近郊形電車のボックス席は急行形電車より17cm狭い!一人当たりだと8.5cm分窮屈なわけです。その分通路が広い。立つ人のスペースを考えた結果です。
クハ111-1現在は名古屋のリニア鉄道館で屋内保存されているが、かつては飯田線沿線の佐久間レールパークに展示されていた1962年製のクハ111形のトップナンバー。現役時代は東海道線の東京-静岡区間の中距離鈍行列車でよく見かけた。この東海道本線中距離電車用クハ111形も194番以降のものと524番以降のものはヘッドライトがシールドビーム化されて表情が一変してしまった。 因みに初期の111系ではクハがサハの代用として中間に入ることを考慮し、運転助士側の仕切り板を大きく開いて乗客に開放できるように作ってあった。 |
クハ111-1316横須賀線と総武線が地下東京駅でつながって一本化された1972年に先立ち1969年の千倉-木更津電化時から地下区間を走らせられる不燃化(A-A基準)対策車両が1000番台として登場したが、それらのフロントマスクはヘッドライトはシールドビームでタイフォンは貫通扉下部両脇という変な位置に来ているし、今までのクハ111形を見慣れた目には違和感満載の外観だった。ところが1000番台なのに写真の1316と1310は大型ヘッドライトで昔の横須賀線の姿そのままだった。あとで分かったことだが不燃化対策車両でもATC機器を搭載していない車両の中に昔ながらのデザインのものがあったのだった。 |
クハ115-102 新前橋電車区(現・高崎車両センター)所属の高崎線直通中距離電車を特急とき撮影の合間に撮ってみた。 115系は東北本線の黒磯以南や日光線、高崎線、上越線など同じ直流区間の寒冷、積雪、勾配区間で使用するため、113系と同様の111系よりパワーアップされたモーターを使用するだけでなく、床下機器やジャンパ連結器、タイフォンなどにカバーやヒーターを取り付けた耐寒耐雪構造を施し、ドアも雪国の駅で開けっぱなしだと寒いということで、乗客が乗降の際に手でドアを開けられる「半自動化」扉となっている。 よく北関東で「電車のドアが自動で開かない、手で開ける」などというが、それは寒さ対策で半自動化ドアとなっているからに他ならない。 また、115系は中央東線中距離電車でも採用されており、中央線用はトンネルの建築限界が狭いところから、パンタグラフ周りだけ屋根を低くした「低屋根」車両となっている。 |
クハ401-1〜221960〜1961年に製造された401系・403系の制御車。写真は1978年頃上野駅で常磐線特急ひたちを撮影する合間に撮影したもの。クハ153 0番台と同じマスクの低運転台車。九州でもほぼ同形の近郊形電車が活躍しているが、そちらは交流60Hz向けの421系・423系である。 |
クハ401-23〜461962年から1965年までの間に製造された401系・403系の制御車はクハ153-500番台とほぼ同じマスクで高運転台車になっている。さらに1966~1967年製造分については屋根上のベンチレターのうち一番前だけが運転室の通風をよくするため箱型の大型押し込み式ベンチレターに変更されている。 |
クハ111の車内現役時代のクハ111の車内の様子だが、クハ115もクハ401もレイアウトは同じ。ボックス席は急行形電車よりも狭いがそれは吊皮があることで分かるように立席客のスペースを確保するため。 天井にはカバーをかけられた扇風機が見えるが、クーラーが普及するのは1970年代半ばぐらいからで、かつては夏場になると窓は全開。扇風機がガラガラと車内の生温かい空気をひっ掻きまわしていた。 |