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日韓万華鏡

トミカ

トミカは1970年に玩具店や駄菓子屋の店頭に並びましたが、両親におねだりしたら、「ミニカーならうちにあるでしょ!」と怒られてしまいました。それ以前にマッチボックスを随分買ってもらいましたから…。高校以降に自分で買うしかなかったのでした。

1970(昭和45)年9月、トミカはイギリスのマッチボックスをお手本に6車種(ブルーバードSSSクーペ、コロナマークII ハードトップ、クラウンスーパーデラックス、クラウンパトカー、トヨタ2000GT、フェアレディーZ432)フレディ Z 432)でスタートした。それまで、幼児の手のひらに乗るぐらいの1/60前後の小スケールの国産車のみにかーなんてどこにもなかったし、実車をよく再現したディティールから子供だけでなく大人にもウケて大人気となり、今では世界30カ国以上の国と地域に輸出される一大ブランドへと成長を遂げた。
私の場合、子供の頃買ってもらえず、高校生頃から気になるモデルだけ少しずつ買っていったので、マッチボックスのように遊んでボロボロにはしていないが、一部のモデルについてはディティールアップ改造をしている。
乗用車系
1975年式グロリアバン パトロールカー
グロリアは元々プリンス自動車の上級セダンだったが、プリンス自動車が日産自動車に吸収された後の1971年に発表された230型からセドリックと姉妹車になった。このグロリアバンは1975年から1979年にかけて生産された330型系シリーズ。このときのセドリックとグロリアはワゴン車はなく、セダン、2ドアハードトップ、4ドアハードトップ、バンというラインナップだった。ちなみに手持ちのこの車、ナンバープレートを白、ラジエーターグリルの引っ込んでいる部分につや消し黒、ウインカーにオレンジ色をいれて、実車の雰囲気を出している。
1969年式トヨタクラウン救急車
乗り物 消防車・救急車のページで紹介した1966年式、1968年式より更に新しい1969年式で、1971年にワンボックスタイプのハイエース救急車にとって代わられるまでこのクラウンバンをストレッチし、ハイルーフ化したメトロポリタン型救急車がごく一般的な救急車だった。また、サイレンの音はこの世代までは消防車と同じうぅぅぅぅ〜〜!だったが、ワンボックス車が登場する辺りから消防車とサイレン音を聞き分けられるように、また、道路沿いの民家に住む人がうるさくないようにとピ〜ポ〜ピ〜ポ〜となる電子サイレンに変更された。
1967年式トヨタクラウンスーパーデラックス
1970年に発売された初代トミカ6台のうちの1台がこの「白いクラウン」のキャッチフレーズでおなじみのRS50、MS50のシリーズである。ミニカーでは運転席と助手席のドアだけが開くギミックが付いている。このクラウンと右の後継モデルクジラクラウンは韓国の新進自動車工業でノックダウン生産されていた。
1971年式トヨタクラウン(クジラクラウン)
左のクラウンをフルモデルチェンジし、フロントマスクを紡錘形にしたのがいわゆるこの「クジラ・クラウン」である。今までの高級溢れるクラウンが一変して妙にスポーティーで斬新過ぎるデザインになった上、フロントマスクが紡錘形であるがゆえに不人気となったモデルだ。また、この紡錘形フロントグリルは開口部が狭く、空気の通りが悪いということで夏はオーバーヒートし安かったとか。
1975年式トヨタクラウンタクシー
クジラクラウンが不人気でライバル車・日産セドリックの躍進を許してしまったことを踏まえ、1974年10月に登場したモデルチェンジ車は後のクラウン・コンフォートにつながる直線的で重厚なデザインに変わった。このタクシーになっているのは4ドアセダンだが、これ以外に2ドアハードトップ、4ドアハードトップ、ワゴン、バンがラインナップされていた。このクラウン以降、モデルチェンジしても大きくイメージを変えることがなく保守的なイメージが定着していった。
1968年式トヨタ ハイラックス 郵便車
平成時代と昭和時代で大きくスタイルを変えてしまったもの…。その中の一つが郵便集配車である。現在の郵便集配車といえば大抵が郵便マークが入った軽の1BOX車か軽トラック。ごく稀にボンネットタイプのアルミバンで弐室に広告が入ったやつがいたりする。昭和時代の郵便車は郵便マークが入っているところは同じだが、全体を真っ赤に塗られたボンネットタイプのライトバンで、荷物室の窓が開いていない、丁度このミニカーのような姿をしていた。
バス・トラック系
三菱・ふそう東名高速バス
1980年代に入ってスケルトンタイプと称する窓がやたら大きく、リベットがなく、全体的に四角っぽいヨーロッパ風の観光バスばかりになってしまったが、1970年代は高速バスも観光バスも運転席の次の窓が一段低く、そのあとに平行四辺形のメトロ窓が続くこのバスのようなスタイルのものがスピード感があって人気を博していた。
三菱・ふそう 相鉄観光バス
実は相鉄観光バス色は市販品ではなく、左のバスを塗り替えただけである。こういうリペイントはミニカーの骨董品的価値を下げてしまうのであまりお勧めできないが、昭和っぽさや'70年代らしさは表現出来たと思う。なお座席はNゲージの特急電車の座席を転用している。箱には1/156とあったが、観光バスより幅が広い特急電車の座席がすっぽり収まっているところを見るとややオーバースケール気味なのだろう。
1958年式いすゞ>BX341ボンネットバス
1956年から1959年にかけて製造されたもので、ボンネット部分は中央に蝶番があって左右それぞれ側面が開くバタフライタイプだった。1950年代後半の最もオーソドックスなスタイルだ。。
1958年式いすゞ>BX341ボンネットバス 京浜急行バス
左のバスを京浜急行バス色に変更した上大岡京急百貨店限定商品だ。1950年代の狭隘区間を走るボンネットバスの最も標準的なスタイルである。ただし、実際の京浜急行バスは青の部分が水色ではなく。もう少し濃い明るいコバルトブルーのような色だ。
1980年式日野はしご車
1970年代の典型的な消防はしご車。モデルとなったのは1976年式日野ダブルキャブ2ドアにモリタポンプが艤装をした5連35mのもの。
1966年式いすゞTXG10 消防ポンプ車
昭和40年代、ポンプ車といえばほとんどこれだった。ボンネット部分は同時代のボンネットバスBXDと同じである。
トヨタ ディーゼル カートランスポーター
今は大型トラック部門は全て日野自動車ブランドになったが、1978年に撤退するまで5〜6トン積みのトヨタ製大型トラックが存在していた。これはそのキャリアカー仕様のトラック。トミカのキャリアカーは上に乗っているクルマが窓が開いておらず、まるで消しゴムのような感じだったので、窓を開けて、塩ビ板の窓ガラスを取り付け、色もそれらしく塗装してみた。上に乗っている2台はNゲージのクルマに換えるとよりリアルになるが、本当はこんな改造をすると骨董品としての価値は出ない。
UNICトラッククレーン
左のキャリアカー同様、ディティールアップ改造をしてしまった。窓ガラスを入れ、要所要所に黒と黄色のゼブラ模様のシールを貼り、クレーンのアームを支える支柱は板状だったので、中をくり抜いて鉄骨製っぽくし、仕上げに工事現場帰りに見えるよう土ぼこりを塗料で表現するウエザリングをやってみた。建設会社の文字は今ならパソコンプリンターで印字できる携帯電話用デカールで作るところだが、これを買った頃はパソコンのプリンター自体なかったので、黒ラッカーで手書きした。
ネオプランバス(新潟交通)
トミカが1987年頃全国バスフェアを行い、ドイツ製の2階建てバスネオプラン・スカイライナーに全国各地の観光バスのカラーリングを施したものを販売した。これは新潟交通色のもの。他に西鉄バスや帝産オート、仙台バスなどのカラーリングがあった。
トヨタ 自衛隊救急車
一見、4WDボンネットバスと共通のボンネットを持ついすゞTSD4WDトラック風だが、米軍・M37をお手本にトヨタが作った3/4トントラックに救急車ボディーを架装したものだ。実車は1952年から導入され、1987年に全車退役した。
海外販売品
現代ソナタ
2012年に韓国市場専売モデルとして作られた幻のトミカ。これだけは日本では売っておらず、韓国の知人を通じてようやっと入手したものである。モデルとなっているのは現代ソナタといって韓国ではタクシーなどでよくみかけるオーソドックスな4ドアセダンである。今のところトミカの韓国車はこれ1種類のみ。1967年式クラウンスーパーデラックスとクジラクラウンは左ハンドルに直せば、かつての新進トヨタでノックダウン生産していた韓国クラウンになるといえばなるのだが…。