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日韓万華鏡

トミカリミテッドヴィンテージ
トミカリミテッド

ドア開閉などのギミックはないですが、通常のトミカよりリアルな仕上がりです。

トミカリミテッド・ヴィンテージ
「もしもトミカが昭和30年代に誕生していたら」というコンセプトのもと1950年代〜1960年代の名車を1/64統一スケールでディスプレーモデル化したもの。玩具ではなく、対象年齢15歳以上の「自動車模型」であるためか、トミカがタカラトミー製造なのに対し、こちらはタカラトミーグループの模型メーカーであるトミーテックが製造・販売している。
トヨタ車
1955年式トヨペット クラウンデラックス
1955年12月に純自家用車向けとして登場したもの。いわゆる「観音開き」クラウンの前期型モデルで、戦後の日本で初めて独自開発された乗用車である。最初に登場した初代クラウンはフロントガラスが2分割式で中央に桟が入っていたが、このデラックス型からフロントガラスが一枚ガラスになった。
1959年式 トヨペットクラウン1500スタンダード RS20型
観音開きクラウンの後期形で、ラジエータグリルが富士山型になっている。トヨタ博物館にタクシーとして展示されているものと同型。トヨタ博物館のものはライトブルーだったが、こちらはグロスブラック。アメ車の影響を受け、テールフィンが屹立し、テールライトは滴形となった。
1963年式トヨペットクラウンRS40
1962年から1967年にかけて製造された2代目クラウン。1960年登場のアメ車「フォードファルコン」をデザインのモデルとしたとされているが、4灯式ヘッドライトとTOYOTAの「T」を模したフロントグリルに個性的なセンスが光る。トヨタ博物館にもこの2代目クラウンは展示されているが、こちらの方がやや年式が古く、フロントのウインカーがバンパーの上に設置されている。個人的にはパトカーとタクシーのグリーンキャブのカラーリングが一番似合うクルマだったと思う。
1967年式トヨペットクラウン ワゴン
左のクラウンの次の代のモデルで「白いクラウン」というキャッチフレーズで知られる。実は1965年まで白は救急車に赤は消防車に間違われるといけないからクルマの塗色に使ってはいけないという規制があったのだが、それが撤廃されたため、この代のクラウンからボディーカラーに白が追加されたのだ。このミニカーはその「白いクラウン」のステーションワゴン。トミカの最初のモデルには4ドアセダンがラインナップされたが、両車を並べるとこちらの方が圧倒的にディティールが精巧に出来ている。
1966年式トヨタクラウンFS45V救急車
千葉県・御宿の消防自動車博物館にもほぼ同型・同年式のクラウン救急車が展示されている。トミカの方にもこの「クラウン救急車」があるのだがスケールは1/70。こちらは1/64。
箱も大きけりゃ、中の救急車も一回りデカい!
フロントカウルから前は左上のクラウンのセダンとほぼ同じだが、ストレッチされた車体は長く、ハイルーフになっている屋根はクラウンのバン、ワゴンよりぐっと高くなっているのだが、それが見事に再現されている。
トミカは箱のサイズに合わせて縮尺を変えていたので、クラウンセダンより小さく作られていたのだった。
1959年式トヨペット マスターライン
操縦安定性の悪さから発売後1年で絶版となった初代トヨペット・マスター。その余剰パーツで作ったライトバンが初代マスターラインだったが、これはその後継モデルの第2代マスターライン。観音開きクラウンのライトバンバージョンだ。同じシャーシ、同じフロントグリルでピックアップトラックも作られている。今では同じ車でセダンと商用車の両方がラインナップされることはなくなってしまったが、昭和30年代は決して珍しいことではなかった。
1964年式トヨペット コロナ RT40型
いわゆる「バリカンコロナ」である。昭和30年代末から昭和40年代前半にかけての地方都市のタクシーでよく見かけただけでなく、韓国でもノックダウン生産されていたこの時代の代表的な小型セダン。ライバルである日産ブルーバードと熾烈な販売合戦「BC戦争」で1965年1月に販売台数でブルーバードを抜き、国内販売台数日本一となったトヨタの主力車種である。海外への輸出も多く、単一車種の生産規模ではフォルクスワーゲンに次いで第2位だった。

日産/プリンス車
1960年式ニッサン セドリック 30型
いわゆる「縦目のセド」である。フロントガラスがパノラミックウインドウになっているだけでなく、1965年に登場したアメ車の3代目フォード・ギャラクシーも縦目だったが、こちらの方が先輩。このデザインがインパクトがあったのか、私鉄特急電車の東武デラックスロマンスカーまで、ヘッドライトを縦目にしてしまっていた。
1964年式日産セドリック カスタム
平成時代日産セドリックは1962年にマイナーチェンジが実施され、「横目セド」に変わった。私の幼年時代は何故か左の縦目セドはあまり見かけず、セドリックといえば、ほぼこのクルマだった。この横目セドにはホイールベースを205mm、全長を345mmストレッチし、2800tの大きなエンジンを搭載した3ナンバーの「スペシャル(50型)」が設定され、そのスペシャルが後にプレジデントに発展していった。
1964年式日産セドリック 東京駅構内タクシー
右上の縦目セドリックのタクシーバージョン。カラーリングは黄色地に空色のラインを入れた「東京駅構内タクシー」。個人的には縦目セドタクシーのカラーリングはこの構内タクシー色と上半分が黄色、下半分が朱色に塗られた昔の「大日本帝国(大和、日本交通、帝都自動車、国際自動車の4社)」カラーがカッコ良くて好きだった。
1969年式日産・グロリアA30型系
プリンス自動車は1966年に日産自動車に吸収されたが、そのプリンス自動車末期に設計され、吸収合併1年後にリリースされたのが、この3代目グロリア A30型系である。縦目のこのフロントマスクが天皇陛下の御料車「日産プリンス・ロイヤル」とデザインが似ていることから、当時は「ロイヤル・ルック」と呼ばれた。1960年代のアメ車にこのテの縦目が多いことから、アメ車の代わりに愛用する人が多く、現在でも人気が高い。
1959年式ダットサン・ブルーバード310型
ダットサン210形セダンをモデルチェンジした初代ブルーバードの前期型。フロントグリルが左右のウインカーの手前で終わっている。中期形はフルシンクロメッシュトランスミッションを採用したことを示すfullの表示、後期形はグリルがウインカーの下に回り込み、全体的に派手な表情になっているのが特徴。
1968年式初代日産ローレルC30型系
1968年にブルーバード510型より豪華なハイオーナーカーとして企画され、プリンス吸収合併後間もない時期の発売だったため、製造は村山工場で、エンジンやサスペンションはスカイラインのものが用いられたが、外観はブルーバード510型似かなり似ている。ミニカーとなった4ドアセダンのほか、2ドアハードトップもある。
トミカリミテッド
こちらはトミーテックではなく、本体のタカラトミーが生産しているもの。2001年4月からスタートし、既存のトミカの金型を流用し、ディティールアップやタイヤ、ホイールなどのパーツをよりリアルなものに改め、ディスプレイモデルとしてグレードアップしたもの。一部のモデルは既存の金型ではなく、新規製作の金型を使っている。当初は旧型車種をディティールアップしたものばかりだったが、その後、スーパーカーやレーシングカー、バス、トラック、外車などもラインナップされた。
1960年式ダイハツ ミゼットMP4型
トミカの古いミゼットの金型を利用したもの。車体のモールが塗装されていたり、ホイールがより実感的なものに改められている。スケールもビンテージなら1/64だが、こちらは1/50。箱の大きさがトミカの他のクルマとだいたい同じになるようにスケールを決めているので、上のヴィンテージのクルマたちと並べてしまうと大きく感じてしまう。
1936年式 トヨダAA型乗用車
ヴィンテージと同じ1/64スケールのトヨダAA。本物は愛知県のトヨタ博物館に展示されている博物館に展示されている。但し、そちらもオリジナルではなくレプリカ。オリジナル車は1950年代に解体されたらしいとのこと。戦前の流線形ブームのさなかに製造された「デ ソート エアフロー シリーズ」のデザインをヒントに開発されただけに戦前のアメ車の雰囲気が漂う。