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日韓万華鏡

トラック・商用車

ここでは中・大型トラック、小型や軽のトラック・バンの商用車、オート3輪など昭和を生きた4輪と3輪のトラック・バンを紹介します。

ギャラリー

中・大型トラック

























いすゞTXD40タンクローリー
年式は分からないが、ボンネットのデザインから見て1964年から1974年まで製造されたいすゞTXだろう。ガソリン車(ほぼ消防車)ならTXG,ディーぜル車ならTXDとなる。この高度経済成長期に作られたボンネットトラックは4灯式ヘッドライトが特徴で、1963年にモデルチェンジするまでは東海自動車(静岡県)のボンネットバス「伊豆の踊り子号」のフロントマスクと同じデザインの2灯式だった。
3.5トン積みから6トン積みまでのバリエーションがあり、車軸の距離でTXD10,20,30,40,50に分かれている。
ボンネットバスともフロントマスクのデザインは同じなので、消防車とボンネットバスのページにも同じ顔つきのものがいる。
これとよく似た外観で年式が古く2灯式になっている散水車なら、バス保存会が保存している元松本電鉄のものがある。
トヨタBM型トラック ”薪トラック”(1950年)
ボンネットバスのページに登場する神奈川中央交通の薪バス「三太号」とちょっと似た顔つきのこのトラック、実は薪バスならぬ薪トラックである。ベースとなっているのは戦時中に製造していたKC型トラックをベースに終戦後間もなく生産したBM型トラックで、運転席の向かって右側の裏にはごみ焼却炉のようにも見える薪ガス発生装置が取り付けられている。こういう薪トラック、木炭トラックの類を「代用燃料車」と総称する。韓国だとカーバイトを使っていたそうだが、日本では燃やすのは木炭か薪。いずれにせよパワーはなく坂道では後から押したそうだが、そんな非力なトラックでどうやって鋼材などの重量物を運んだのだろうか?!戦争が庶民の生活を著しく圧迫していた証拠物件のようなトラックだった。(所蔵:トヨタ博物館)
いすゞ TD コンクリートミキサー車
年式は不明だが、1960年代半ばのものと思われる。1970年代にはよく見かけたスタイル。いすゞのボンネットトラックは6トンまでのものはフロントマスクがボンネットバスと同様のものだったが、8トン車になると上のミキサー車のように若干デザインが異なっていた。消防車のページにある梯子車のベースとなっているキャブオーバートラックTD70Eは姉妹品でEが末尾につくタイプはキャブオーバー、付かないものはボンネットタイプという形で1959年から1979年まで並行して両方作られていた。昔はこのいすゞTDのボンネット車はコンクリートミキサー車のほか、ダンプカーやレッカー車で良く見かけた。レッカー車は今でもごく稀にみることがある。このほか同時期のいすゞ自動車のボンネットトラックにはTS/TWシリーズという4WDトラックがあり、自衛隊や林業関係のトラックや4WDボンネットバスのシャーシとなっていた。
 
日産ディーゼルコンドル4トンダンプトラック
1975年から1983年に製造された日産ディーゼル(現・UDトラックス)の中型・小型トラックシリーズがこの初代日産ディーゼルコンドルである。日産ディーゼルコンドル自体は現在でもモデルチェンジを重ねてブランドは存続している。RM90という足回りの一部を共用した中形バスシリーズも存在している。上のボンネットトラックのキャブと明らかに違うのは運転席の後に細い車内ベッドがあるところだ。高速道路の普及に伴い、ドライバーが深夜のサービスエリアで仮眠をとれるように1970年代からベッドが付くようになっていた。右のタンクローリーも1970年代のトラックなのでやはり、ベッドスペースが見られる。
いすゞ ニューパワーSSタンクローリー
いすゞニューパワー中期型、通称「ゴリラ顔」のタンクローリーである。いすゞニューパワーは1972年から1983年にかけて製造されており、韓国の大宇自動車(現・タタ大宇)でも1973年から1995年までライセンス生産されていた。ニューパワーはそのフロントマスクから台形フロントグリルの前期型、ゴリラ顔の中期形、ロボット顔の後期形の3種類に分類される。ゴリラ顔は1977年から1979年まで製造された。1980年頃歩道橋で撮影したものだが、このタイプのトラックは消防車などで稀に見ることはあるが、やはり70年代らしい光景だ。


小型トラック・ピックアップ・ライトバン
トヨタ SG型トラック(1953年)
トヨタSG型トラックは1952年から1953年にかけて製造された小型トラックで後継モデルで1953年から1957年に製造されたRK型トラックは下のマスターラインのキャビンを流用したものだった。また、このSG型トラックのシャーシを利用し、そこに乗用車ボディーを架装したSF型系乗用車というのも存在した。トヨタスタウトのルーツとなった乗用車サイズの小型トラックだが、フロントガラスは2分割。1955年に登場した初代トヨペットクラウンのフロントガラスも2分割されていたが、当時は1枚ものの曲面ガラスが調達できなかったことをうかがわせる。
(所蔵:トヨタ博物館)
トヨエース(1959年)
1954年から1959年にかけて製造されたキャブオーバータイプ小型トラックの始祖ともいえるのがこの初代トヨエースである。トヨタの小型トラックや1BOX車にはライトエースとかハイエースとかタウンエースなど××エースと命名されたものが目立つが、それらはこのトヨエースの流れをくんだものである。開発当時は安価で小回りのきくオート三輪全盛の時代。そこでトヨタはオート三輪と変わらない価格で走行安定性に優れ、快適な4輪小型トラックを導入し、巨大市場を攻略した。結果、トヨエースは「トラックの国民車」と呼ばれ、小型トラック市場をオート3輪中心から小型4輪に塗り替えたのだった。 (所蔵:トヨタ博物館)



トヨペット マスターライン バン(1956年)
乗用車2 1950年代のクルマで紹介したトラックシャーシにセダンのボディーを架装したタクシー用セダン「トヨペットマスター」。しかし、タクシー会社やドライバーには観音開きクラウンタクシーの方が評判がよく、昭和30年代の駅前風景の写真でトヨペットマスターがタクシー乗り場に集まっている光景はまずお目にかかれない。1955年に発売を開始したものの乗り心地と操縦安定性の劣るところから不人気で、1年で発売中止となった。
それで余ったトヨペットマスターのパーツを利用してピックアップトラックとライトバンに仕上げたものがこのマスターラインである。このトヨタ博物館所蔵のマスターラインバンは荷室の側面窓が開いてなく、鉄板で覆われており、見ようによってはダブルキャブのピックアップトラックの荷台を鉄板で覆って屋根も付けたという風にも受け止めることが出来る。また、リアゲートは観音開きで昔の救急車風。マスターラインの後継モデルは観音開きクラウンのライトバンとなっている。
(所蔵:トヨタ博物館)
トヨタ コロナラインピックアップ(1962年)
乗用車3 1960年代のクルマ@でも取り上げた第2代トヨペットコロナ。1950年代から1960年代のクルマのラインナップを見ると、同じフロントグリル、フェンダーを使って、同じ車で乗用車バージョンと商用車バージョンを作っていることがよくあった。このコロナも商用車バージョンとして「コロナライン」を用意していた。2ドアライトバンとピックアップがあり、これはそのピックアップトラック。ピックアップトラックにはシングルキャブとダブルキャブがある。ダブルキャブは2ドアセダン風のボディーで、トランク部分が弐台になっている感じ。写真のものはシングルキャブである。2人乗りで積載重量は500kg。電気屋さんが冷蔵庫や洗濯機の配送に使っているのを子供のころ見たことがある。スマートなデザインなのでおしゃれな店ではトヨエースではなく、このクルマが配送用にチョイスされることがよくあったようだ。(所蔵:トヨタ博物館)
トヨタ コロナピックアップ(1966年)
1964年からコロナがバリカンコロナにモデルチェンジされると、それに合わせて右上のコロナラインピックアップが「ニューアローライン」とも呼ばれたスラントしたフロントマスクのバリカンコロナスタイルにモデルチェンジされた。排気量1200ccで、2人乗りで500kg積みなのはモデルチェンジ前と同じだ。そして車体の色はフォレスト・グレー、アークティック・グリーン、オーロラ・ブルー、ラバ・レッド、カレッサ・ブルーの5色が用意されていた。

旧車ショー「ノスタルジック2デイズ」から
トヨペットマスターライン  RS46 ピックアップ(1963年)
ピックアップやライトバンが用意されていたのはコロナだけではない。今では4ドアセダンだけになってしまい、ワゴンバージョンも姿を消してしまったクラウンもまたかつてはピックアップトラックがラインナップされていた。上左のトヨペットマスターラインや観音開きクラウンの頃は梯子型フレームだったが、RS46からは剛性の高い“X形”フレームに代わった。1961年に登場したAT「トヨグライド」は当初ローからドライブへの変速ではクラッチ操作が必要だったが、1963年9月にはフル・オートマチックに変更となり、クラッチ操作が不要になった。なお、このトヨペットマスターラインは定員3名、750kg積みでコロナピックアップより一回り大きい。
旧車ショー「ノスタルジック2デイズ」から