ソウル駅 東京駅にどことなく似た(東海道新幹線の建設の際に取り壊された旧・新橋駅烏森口の方がもっと似てるとの意見もありますが…)赤レンガの建物が塚本靖の設計により1925年に竣工したソウル駅旧駅舎。 駅舎としての用途は2004年にKTXが開業し、ガラス張りの万博パビリオンみたいなKTX駅舎が開業して廃止、しばらくはホームレスのたまり場になっていましたが、修復の上、「文化駅ソウル284」という展示館として2012年4月から一般公開されています。 |
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花本駅 中央線の堤川から慶州に向かう途中にある小さくて地味なローカル駅です。しかし、1938年に竣工した建物、駅周辺の小ぢんまりした集落、構内に残る給水塔から韓国人の鉄道旅行好きから韓国 一のローカル駅舎と言われて人気が高く、しかも 韓国の駅舎としては初めて模型化(英工房というメーカーから木製キットが発売されている)されました。 |
雲峴宮洋館 住所:ソウル特別市鍾路区雲泥洞114番地 1911年竣工(1903年説、1907年説、1912年説など異説あり) 史跡257号 雲峴宮とは朝鮮王朝26代国王である高宗の父親で1863年から187年まで摂政として政治の実権を握っていた興宣大院君・李昰応(イ・ハウン)の私邸です。片山東熊設計のこの洋館は興宣大院君の孫である李埈鎔が暮らし、李埈鎔の死後は李鍝王子が受け継いだものの、日韓併合で皇室に編入された李王朝の王族の一人である李鍝王子は陸軍大学を卒業、陸軍大佐となりましたが、広島で爆死。韓国独立後は、洋館の所有者は徳成女子大学の所有となるという数奇な運命をたどっています。 韓国ドラマ「宮」のロケでも使われたこの建物は現在同大学の「生涯教育院」となっていて、女子大キャンパスだけに当然男子入場禁止です。 |
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洪蘭波住宅 住所:ソウル市鍾路区紅把洞2-16 1930年代の住宅 登録文化財90号 洪蘭波は「鳳仙花」「故郷の春」といった歌曲の作曲家で、日本で言えば滝廉太郎か山田耕筰のような存在です。。その大作曲家の私邸が鍾路区の小高い丘の上に残されていることは以外にも知られていません。最寄駅はソウルメトロ3号線独立門かソウル都市鉄道公社5 号線の西大門駅ですが、場所を尋ねても、駅員も周辺の通行人も「洪蘭波の家?そんなのあったかなぁ」などと答えるのです。ではどうやって行くかというと、ソウル駅か忠正路駅辺りからタクシーに乗って「ソウル市教育庁まで」ということ。「SEOUL特別市敎育廳」と書いた紙を見せてもかまいません。そしてすぐ近くまで来たら、そのすぐ先の小高い丘に登る狭い坂道を上まで上ってもらうこと。或いはソウル市教育庁の前で降りて正門の左手のその道を歩いて登ってもよいでしょう。途中にクリーニング店などがあるその坂道を登りきったところには赤レンガ造りで三角屋根の瀟洒な洋館があります。それが旧洪蘭波邸!現在は鍾路区が保有し、イベント等のときのみ公開しているようです。 |
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南浦洞乾魚物市場の商店群 釜山市中区南浦洞1街周辺には韓国海苔や干物を売っている乾物屋さんばかりの商店街があるが建物を見ればビックリ!まるっきり日本の戦前の古い商店街なのです。土蔵もあるし、古い屋根瓦は割れて雨漏りするのか、ブルーシートをかけられたり、耐水性のパテか塗料のようなものを塗られてます。ロッテワールド進出により再開発されてしまう噂もあり、この見事なレトロ商店街も長くは見られないかもしれません。 |
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群山の文化住宅 群山市新興洞周辺を歩いていたら、なんと、昭和初期の東京ではやった文化住宅がありました。「文化住宅」とは和風の住宅なのに応接室か書斎の部分だけが洋風デザインになったもので、「となりのトトロ」のメイの家みたいなスタイルの家のことです。周辺には日本風住宅が多く、元日本人反物商人・広津吉三郎が住んでいた古風な和風住宅もあります。 |
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仁川チャイナタウン 仁川市中区新浦洞東部 仁川駅を降りて、道路の反対側に行くと小さなチャイナタウンがあります。奥の方に入ったら、日本の横浜中華街の建物より、むしろシンガポールのチャイナタウンにありそうな中国風デザインのベランダの付いた古いレストランがありました。ちなみにこの町の名物はジャージャー麺と韓国式の辛いちゃんぽんです。 |
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カフェ・幸せいっぱいの家 木浦市中央洞3街1-3 1920年代竣工 木浦近代歴史館(旧東洋拓殖木浦支店)の向かいにある瓦葺・入母屋造りの立派な和風住宅は木浦の東洋拓殖幹部住宅だった建物です。 第2次世界大戦後に羅商洙さんという富豪の手に渡り、羅商洙さんが亡くなった後もしばらくは息子さんが建物を管理していましたが、その後売却され、新しいオーナーはここで「幸せいっぱいの家」というカフェを開業しました。看板メニューは幸せ丼、チキンのクリームソース煮ですが、パスタやハンバーグもあり、洋食屋としてもなかなか充実しています。 |
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麗水旅人宿 木浦の駅の近くにある。小さな簡易旅館です。 見た目も室内もオンボロですが、実は凄い建物!屋根瓦の刻印がなんと「製崎岩」です。 横書きで右から書き始めるスタイルは明らかに第2次世界大戦以前のもの。 上から壁紙を貼ってしまっていますが、部屋の仕切りは古い障子やふすまです。 最初に泊まった時、2階に使用人を寝泊りさせる商家だと思ったのですが、 宿のご主人が「いや、下宿屋みたいな建物だったけど」…といいます。 となると、映画「男はつらいよ」にもしばしば登場する小規模な商人宿だった可能性が高いです。主こそ何人も代わっているのでしょうが、ひょっとすると、昭和初期か大正時代から続く「商人宿」かもしれません。 |
東国寺大雄殿 群山市錦光洞135-1 旧・曹洞宗月明山錦江寺で、曹洞宗の僧侶、内田仏観が1909年に開いたお寺です。現在残っている本堂は1913年に建立されたもので、日本の敗戦により、本尊は引き揚げ、太鼓が残っていたのですが、解放後、大韓仏教曹渓宗の所有となり、中のご本尊様も韓国の寺院に有るものに変わっています。お寺として存続した旧日本式寺院はここにしかありません。 |
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旧松島神社 麗水旅人宿に宿泊した際に、宿のご主人が「近所に元神社があるよ。見てみる?」と案内して下さったのがここ。日本の敗戦で、韓国内の神社は昇魂式を行いほぼ取り壊されたのですが、どうしたわけか、ここだけは解体されずに一般人の手に払い下げられ、何と住宅に転用されました。総杉作りでしたが、傷みがひどくなってきたのでトタンで覆われた、という次第。 |
新世界百貨店本館 ソウル市中区忠武路1街52-2 1930年竣工で、元三越百貨店京城店だったところです。その昔は入口に三越名物のライオン像もあったようですが、今は建物外観以外に昭和戦前を偲ばせるようなものは特にありません。商店建築ですが、規模の大きいビルなのでオフィスビルのカテゴリーで紹介しました。 |
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韓国鉄道公社釜山鉄道車両管理団 住所:釜山市釜山鎮区凡川2洞1210番地 大半の建物が1935年に竣工したという韓国では異例の古い工場建築物です。1904年2月1日に新設された草梁機械工場を前身とする釜山の鉄道車両整備工場で、今も1935年に竣工した建物が本館をはじめとして随所に残されています。また、工場内のガントリークレーンも同時代のものです。韓国では植民地時代の日本の工場建造物はほとんど残っていないため、この工場建築は極めて貴重な存在です。また、建物だけでなく、1954年4月に米軍から鉄道庁に贈られた韓国最初のディーゼル機関車4両のうち1両も導入当時の塗色に塗り直されて保存されています。 |
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住所:釜山市中区大庁洞1街9-305 1934年竣工 |
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群山税関旧館 群山市蔵米洞49-38 群山税関は1899年に設置され、現在残っている古風な赤煉瓦の建物は1908年に完成しました。日韓併合直前の大韓帝国時代末期の貴重な建築物で現在は湖南関税展示館として活用されています。(1994年8月10日には、全羅北道記念物 第87号にも指定されました。 |
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旧仁川郵便局(仁川中洞郵便局) 仁川市中区港洞6街1 2階建てレンガ造りの建築物で、レンガの上からセメントモルタルで仕上げ、石造り風に仕上げてあります。 1923年に竣工し、仁川市の有形文化財第8号に指定されています。博物館ではなく「郵便局」なので 日本に送る別送品をここから送る等、しっかり利用しましょう。 |
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新韓銀行木浦支店 木浦市常楽洞1街10-2 1926年竣工の旧湖南銀行木浦支店です。朝興銀行木浦支店を経て、銀行の統合で新韓銀行となりましたが、銀行の整理統合により、今はキャッシュディスペンサーが設置されているのみです。韓国文化財庁登録文化財第29号に指定されています。 |
影島大橋 釜山市影島区大橋洞 完成当初の名将は「釜山大橋」でした。1934年竣工の 跳開橋で全長214.63m、幅18.3m。 東京の勝鬨橋と違い、片側だけが跳ね上がるスタイル でした。朝鮮戦争のときには北朝鮮軍の攻撃を逃れて 避難する人たちが、「影島(ヨンド)タリでまた会おう この橋を避難目標にしていました。(「タリ」は韓国語 で橋を意味する固有語です。) |