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韓国のレトロな古民具・雑貨new item

食品編
韓国で昭和っぽいものや歌を7080(1970年代・80年代のもの)などといって愛好する向きがありますが、これが日本人の目から見ると、思いっきり昭和文化そのものなんです。ただ、文字がハングルで、歌だと韓国語の歌詞が付いているだけで。別にマネしようという意図はなくても結果的に何だか似てしまう韓国の昭和っぽいグッズ。
昭和戦前に日本の植民地だったというだけでなく、元々の感性というかセンスがどこか似ていたんでしょうね。

駄菓子の数々
韓国にもしっかり駄菓子文化がありました。ただ、健康に良くないとPTAの怖~~いお母様たちから目の敵にされ、「不良食品」という身も蓋もない、ネーミングをされてしまい、スーパーやデパートで売られることはありませんでした。でも、こっそり食べてた子供たちは?
ちゃんとファンになり、不良食品」を「想い出のお菓子」と言い換えるようになり、駄菓子はネットで販売されるようになりました。
この写真は、「想い出を売るhttp://www.zzolzzol.com./)という専門サイトからご提供いただいた駄菓子です。コンペイトウや笛ラムネといった日本のものと変わらないものもありますが、ピーナッツおこしや薬菓(ヤックァ)といった、韓国の伝統的なお菓子をモチーフにしたものも少なくありません。また、日本では一般的なよっちゃんイカのような酸っぱい味付けのものが見当たらず、代わりにカワハギの干物のような塩味系おつまみみたいなスタイルのものが散見されます。
オランーC
日本のHi-CやQooのような低果汁清涼飲料水が1971年から売られていて、この商品名がオランーCなのです。
今では缶やペットボトルの飲料ですが、70年代はこのような瓶入りの飲み物でちょっとチェリオあたりを連想させる感じです。オレンジのほか、パイナップル、グレープ、レモンというバリエーションがあります。

玩具・文具・プラモデル編
子供の世界の定番であるプラモやおもちゃ、文房具もどことなく郷愁を誘うアイテムですね。

現代ポニー2のプラモデル
1988年にソウルを旅行した際に買ってきたプラモ。メーカーは「アカデミー科学」という会社です。韓国でほぼ唯一のプラモメーカーで、最近では戦闘機を中心にミリタリーモデルばかり作っていますが、かつては、この現代ポニー2のほか、中型セダンのステラや南大門といったものも販売していました。
このプラモが家にある話を駄菓子のネット販売をしている想い出を売る店の店長である車旻龍(チャ・ミニョン)氏に話したところ、「大変なレアモノですよ!日本人がそれを持っているなんて凄い!」とビックリされました。
モンナニ(ブスっ子)人形
韓国の人たちがチマチョゴリの人形などと主にテレビの上に乗っかっていた人形として記憶しているのがこの「モンナニ(ブスっ子)人形です。1970年代の韓国で大流行した3姉妹のゴム人形で、必ず怒り顔、泣き顔、笑い顔で3セットになっています。写真ではストレートですが、ちりちりパーマやかぶり物などいくつかのバリエーションがあるようです。
ブリキのポンポン船
韓国でも「崖の上のポニョ」の小道具に出てきた、ろうそくの火で動くブリキのポンポン船が作られていました。ただ、韓国版の方はよりスポーティーなモーターボートタイプで、水を注入するためにぷら製の注射器が付いていました。
大変よくできましたのハンコ
小学生の時、宿題のプリントやノートを提出するとよく先生が押してくださった「大変よくできました」のハンコ。日本のだと八重桜か。月桂樹の冠が文字をぐるりと取り囲んでますが、韓国版の方はなかよしの子供の顔になっています。私は韓国語を教えて宿題を出したとき、生徒さんの回答がよかったとき、この韓国版「たいへんよくできました」ハンコを押しています。
これも、駄菓子を通販しているようなところで買うことが出来ます。
南大門のプラモデル
1980年代に現代ポニー2を製造したプラモメーカー「アカデミー科学」から出ていたものを2012年に復刻発売したものです。1980年代のものは全体が金メッキされていましたが、現在出回っているものは金メッキはされておらず、一般的なモールドになっています。スケールは1/200.
南大門は2008年2月10日の放火により焼失、2013年5月4日に復元され記念式典が行われたのですが、このプラモの復刻再発売は復旧工事のさなかだったので、復旧記念を意識し、一足早く再発売…ということだったのでしょう。

学生の持ち物編

ガクランと軍事教錬服
韓国が日本に統治されていた時代に、日本は韓国 に学校を作りましたが、それと併せて、詰襟の学 生服やセーラー服も持ち込んでました。だから、 韓国の古い映画を見ると、日本の学生と同じよう な学生服をしっかり着ているのです。でも名札が 縫い付けてある点がちょっと違いますね。それと 朝鮮戦争を経験し、未だに「停戦」のままで、 「終戦」でなはいため、韓国には徴兵制があり、 現在でも2年の徴兵があることが知られています が、1993年までは高校に軍事教練(銃剣術、制式訓練、救急法)があり、男子高校生は白黒迷 彩服で登校していたりしたのでした。
学生鞄
ヤンキーのみなさんが愛用したペッタンコ学生鞄 とは正反対の参考書のたっぷり入る分厚い学生鞄 を韓国の方々は愛用していました。 写真のものは布鞄ですが、これ以外に革のタイプ もありました。
  

軽車両編

リアカー
ソウルメトロ3号線安国駅・景福宮駅から徒歩15分ほどのところにあるソウル国立民俗博物館野外展示場の展示物から。朝鮮王朝の頃は日 本の大八車のような木製の荷車を使ってました が、昭和に入ると日本からリアカーが導入され るようになりました。ちなみに、弱い犬ほど、 良く吠えるということわざを韓国では「空の 荷車ほどうるさい」といいます。
自転車
ソウル国立民俗博物館野外展示場の展示物から。「となりのトトロ」でカンタが三角乗り(自転車のフレームの三角部分に足を突っ込んで子供がこぐ)をしていたような、ごっつい荷物運搬用の自転車デザインが、昔の配達用自転車そのままです。今でも、市場に行くと、この自転車の荷台に大き なしょいこをつけた自転車が大荷物を運んでいます。

そのほか日常の生活用品編

かまど
落語の「へっつい幽霊」に出てくるかまど。江戸では「へっつい」、上方では「おくどさん」といわれていたかまどは韓国では「プットゥマ」といいます。日本のかまどと異なるところはここが、オンドルの焚口を兼用している点でした。
ダルマストーブ
韓国でも石炭をたくダルマストーブが教室にありました。ただし、韓国の場合は上に弁当を載せて温めたりすることが多かったみたいです。
カラーテレビ
韓国でカラーテレビ放送が始まったのは、1980年12月1日のこと。それまでは白黒テレビでしたが、デザインが家具調で木製の足が付いているところが、1970年代の日本のテレビとそっくりです。
あと、テレビの上にはどういうわけか、前述のモンナニ人形やチマチョゴリ人形が乗っかっていました。
床屋の椅子
床屋の椅子のスタイルはほぼ日本と同じです。昔の日本では男の子の髪形はスキンヘッドというべきか、五厘狩りというべきか、バリカンで思いっきり丸刈りにしていました。家でお父さんが息子の髪をバリカンで刈ろうとしたら切れ味が悪過ぎて、ブチっとむしる感じに。痛がる息子に、しょうがない…とひげそりでツルンツルンに剃って…なんていう事態、韓国でもあったみたいです。
赤電話
韓国にもしっかり赤電話、あったのです。日本同様に店先や街角に。今は、プッシュ式が普通なので、若い世代の人だとダイヤルを回す電話はどう使ったらいいのか見当がつかない人もいるかもしれません。
ホーロー看板
ソウル国立民俗博物館野外展示場の展示物から。韓国にも街角のホーロー看板がありました。日本統治時代のものだと仁丹とか森永ドライミルクなんていうのがあったみたいです。日本が戦争に負けて引き揚げた後は当然韓国企業のホーロー看板が作られました。
この看板は電報・電話取り扱いとあり、下の広告は「味元(ミウォン)」という化学調味料メーカーのものです。日本でいえばさしずめ味の素ですね。
練炭
練炭とは石炭を粉末にして、蓮根状の穴をあけた円筒形で成型したもので日本で開発されたものですが、韓国のオンドルの燃料としてかなり長い間使われました。扱いやすかったので普及しましたが、一方で一酸化炭素中毒事故を起こしやすいという問題も抱えていました。ちなみに一酸化炭素中毒で倒れた人の気つけ薬というのがあって、それが、なんと水キムチの汁でした。練炭をオンドルの燃料に使った経験のある韓国の方がみなさんご存じのところを見るとごく一般的な民間療法だったようです。
トークンコイン
直径19mm。穴があいていて、まるで5円玉の子分のようなこの不思議な硬貨は「トークンコイン」といって、T-moneyカードが導入される以前にバスの回数券代りにバス停の前の売店で売られていたものです。
トークンコイン1枚でバス一人分の料金でした。表にはハングルで「一般」、裏面には「市内バス」と書かれています。

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