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韓国の汽車にハマったワケ


ビジネス特急こだま号に乗せてよ!

 物心ついたときはクルマの方が好きでした。しかし、幼稚園時代のある日、絵本でかっこいい電車を見つけました。
 そこには「ビジネス特急こだま号」と書かれていました。
「ビジネス特急こだま号」とは1958年11月1日〜1964年9月30日まで東京‐大阪で走っていた花形特急電車。
  けれど、絵本を見た時代は既に新幹線の時代。
「ビジネス特急こだま号」なんて電車はどこにも走っていませんでした。
 でもやっぱり乗りたい!!

  父に「ビジネス特急こだま号」に乗りたいよ〜〜と駄々をこねてしまいました。
「そんな電車もういまどき走ってないよ。こだま号っていったら新幹線だろう?」
「でも昔こだま号に使っていた電車はどこかにいるんじゃない?」 いったいどこで聞いてきたのでしょう?

数日後、父は言いました。
「あの『ビジネス特急こだま号』に使っていた電車な、上野から新潟へ行く『特急とき』と新宿から松本に行く 『特急あずさ』に使われてるで。」

それから夏休みの度にときかあずさに乗りたいと大騒ぎ!
根負けした父は1972年の夏休み旅行の行き先を浅間温泉と美ヶ原高原にしてくれました。
やっと念願かなって「ビジネス特急こだま号」の車両を使った『特急あずさ』に乗れたのでした。。



中学2年から特急ときを撮る

そんな子供時代の思い出いっぱいのこの電車も老朽化が進み、私が中学生になる頃は廃車が始まりました。

矢も盾も止まらず、私は休みの日に小遣いをもらっては
誕生日プレゼントのポケットカメラを持って上野駅を
うろうろして、かつて「ビジネス特急こだま号」だった電車をせっせと撮影、高校1年のときには越後湯沢まで行って屋外撮影もしました。






     

セマウル号を撮る


1982年、東北・上越新幹線が開業。
大好きな「特急とき」はおろか、国鉄の在来線特急は
大幅に姿を消してしまいました。
いやはやなんとも寂しいな…
暇な時に鉄道雑誌をペラペラめくっていたら、
とんでもなくユニークな列車の写真が載っていました。
中間車みたいなデザインの客車が
アメリカンスタイルの機関車に牽引されています。
しかも色は初代新幹線0系と同じアイボリー地にロイヤルブルーのラインです。

面白すぎる!!

乗りたい!!

それが、あの韓国の特急「セマウル号」の初期型の車両でした。でもその時点の韓国は『準戦時体制』の国。
鉄道写真撮影は許可制で、雑誌には「許可なしに撮影すると不審人物として捕まります」なんて怖いこと
が書いてある!
当時の韓国では電車の写真を撮りたいと思ったら、職員にいちいち断らなくてはならなかったわけです。
でも、英語で「May I take this train's photograph?」なんて聞いたら、”No!!”の一言で断られそう…
さて、その解決方法は?

     

韓国語を学ぶ

だったら、情に訴えよう!韓国語で
「私は日本人の鉄道愛好家です。この車両が気に入りました
観光記念に写真を撮っていいですか?」
職員さんの目を見て、韓国語でそう訴えかければ、
冷たくあしらうことはなかろう…。
そう思った早稲田大学の女子留学生の方が開いていた
韓国語教室に入門。
「セマウル号の写真が撮りたいから韓国語を勉強したい」
そういうとすごくびっくりされましたね。
汽車の写真なんか撮ってどこが面白いのかって。こんな簡単な単語も覚えられないのか!…って
怒られっぱなしでしたが、学習熱がエスカレートし、
最終的には1993年から1994年まで延世大学語学堂に留学、
ついでにガールフレンドを日本にテイクアウトしたのが、
今の家内という次第です。

プロフィール

名:やまだ トシヒデ
 (実は本名の『山田 俊英』、姓名判断で「大凶名。幸薄く短命。改名を勧める」と散々なことを書かれている名前なので
縁起を担いで「韓国の鉄道の旅をとことん楽しむ本」からこの表記にしています。
・生年月日:1962年7月20日
・出身地 :東京都新宿区
・座右の銘:「喜びを分け合えば倍になり、悲しみを分け合えば半分になる」
・執筆理念:「今日もみんなが笑顔で過ごせますように」

韓国の鉄道と韓国語と昭和サブカルチャーをこよなく愛するフリーライター。
関東学院大学経済学部・韓国延世大学語学堂卒業。